親切の種

11月18日 親切の種

この地域<那須>のある牧場を見学し、わたしは意外なことを知りました。そして、それは、わたしを懐かしい思い出にいざなってもくれました。

その牧場の展示場には、中国東北部(昔の満州)の古い写真が飾られていたのです。それは、日本兵たちが酪農を行っているものでした。終戦後、日本に帰還した彼らは、再び酪農を始めたと説明書きにありました。もともと酪農の経験のなかった彼らに、異国の村人たちが教えてくれたということでした。

わたしが住むこの地域は、今、日本でも有数の酪農地になっています。

わたしは、中国東北部に二年近く住んだことがありました。そこは全く未知の世界で、初めてそこに行った時、「地の果て」に来たように思えました。そんな地で宣教の仕事をやりぬくために、主は、わたしたちのまわりに親切な人たちを用意してくださっていました。年配の人たちで、先の戦争を経験していた人たちでした。わたしは、彼らと 知り合うようになってから、日本兵に残酷な仕打ちをされてないか、嫌な思い出があるかのではないかと心配でした。しかし、彼らは、嫌な思い出を語るのではなく、ある日本兵が(軍としてではなく)親切にしてくれたことを話してくれました。

彼らは、わたしが泊る場所を世話してくれたり、そこでの生活のために、色々な配慮をしてくださったのです。ある時は、公安局の注意をひくというリスクを犯してまで、わたしたちを家に招いてご馳走してくれました。彼らの存在が、どれだけわたしたちの励ましになったか、計り知れません。

戦時中に兵士としてその地に渡った人の中で、親切の種を蒔いた人がいて、わたしはその実に預かっていたのだと気づきました。その種は、何十年もの間、人々の心の中で育ち続けていたのです。

時と場所を越えて、愛と真実は人の心の中で育ちます。わたしも、価値ある種を蒔く人になりたいものです。後で見知らぬ人がその益に預かるかもしれないのですから。

イエス様は、この罪ある世界に蒔かれた一粒の種でした。それによって人類に救いがもたらされました。この希望を告げる福音の種が、私たちに委ねられています。イエス・キリストの尊い福音を伝える者となれますように。


「天国は、良い種を自分の畑にまいておいた人のようなものである。」(マタイ13:24)

「天国は、一粒のからし種のようなものである。ある人がそれをとって畑にまくと、それはどんな種よりも小さいが、成長すると、野菜の中でいちばん大きくなり、空の鳥がきて、その枝に宿るほどの木になる」(マタイ13:31、32)

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