ゆとり

j
2023年11月16日

11月15日 ゆとり (ひとしずく-高原だより)
散歩をしていると、道と田んぼの間の草むらに、腰を下ろして一服している農夫
のおじいちゃんがいました。道端の草刈りをしていたようです。あいさ つを交
わして、わたしもそこに腰を下ろし、しばらく話をすることになりました。この
おじいちゃんとは時々話すのですが、冗談もうまく、なかなか味 のある話をし
ます。
さて話が口蹄疫のことになりました。彼はこう言いました。「あんな狭い所に何
万頭もの牛を入れてりゃあ、牛も病気になって当たり前だよ。第一、そ んなに
ぎゅうぎゅう詰め︱これが本当の牛牛詰め!︱にして飼育するよう指導されてる
んだからおかしいんだ。かと言ってわたしの知り合いは、25町 歩(25ヘク
タール=5km×5km)の広い土地で酪農をやってるが、それだけじゃあ、
食っていけないからアルバイトみたいなことをやってるわ。 何かが間違ってる
なあ」
何か考えさせられる話でした。口蹄疫や牛の飼育については、あまり知識はあり
ませんが、牛が狭い所に押し込まれて飼育されているので、ストレスが たまり
病気になるというのはわかる気がします。本来なら、ゆったりとした広い場所
で、牛をのびのびと放牧させるのが理想なのでしょうが、それだと 採算がとれ
ないというのが現状なのでしょうか。
後でわたしは口蹄疫についてインターネットで調べてみました。それによると、
口蹄疫になるはっきりとした原因はわかっていないそうです。しかし、 牛が狭
い牛舎に押し込められていることから、そのストレスによって抵抗力が低下して
いることも、口蹄疫がこんなにも広く感染した理由ではないか、 とありまし
た。あのおじいちゃんが言っていた通りでした。そしてさらに興味深いことが書
かれていました。「毎日、狭い牛舎に押し込められてミルク を作り続けねばな
らない乳牛たちは、毎日、通勤列車に押し込められて会社に通い続けねばならな
いサラリーマンと同じように、ストレスを抱えてい る」と。
牛も広い牧草地でのびのびと育ててあげるなら、リラックスして幸せで、病気に
対する抵抗力もつくのでしょう。それはわたしたち人間にも言えること だと思
います。私たちにも、時にはのんびりとした楽しい時間が必要なのです。仕事や
家事などの忙しさに追われていると、「のんびりとした楽しい時 間」は、「無
駄で必要のない時間」のように思われるかもしれません。しかし、一見それなし
でやっていけると思うそのものが、実は疲労回復に大切な ことであったり、生
命維持、そして何よりも人生を幸せで生きがいあるものにするために不可欠なも
のであるということに、わたしたち人間は気づいて いないのかもしれません。
これは肉体的にも霊的にも言えることだと思います。霊的な面で言えば、神様と
の交わりのひとときや、御言葉を読む時間を とらなくてもやっていけると思っ
て、危ない状態で行動し続けることです。しかし、やはりつけが回ってくる時が
きます。
わたしたちが神抜きの、忙しい生活に自分を慣れさせてしまうと、知らず知らず
のうちに霊的な免疫力を低下させてしまっています。そんな時、何か がっかり
させられることが起こると、それを冷静に信仰を持って受け止める力もなく、壊
滅的な打撃を受けてしまうのです。主はいつも忍耐をもって、 わたしたちを
待っておられます。
祈り
主よ、あなたをいつも第一におけるように助けてください。わたしたちは何か事
が目に見える形で起こらないと、何をしていても大丈夫だと思いがちで す。で
も、あなたとの時間や御言葉の時間をないがしろにして、いつまでも大丈夫であ
るわけがないことを知っています。どうか、わたしたちが忠実に 日ごとの霊の
糧を取り入れ、霊と体の健康を維持する免疫力をつけることができますように。
イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から
出る一つ一つの言で生きるものである』と書いてある」(マタイ4章4 節)

他の投稿もチェック

被災地でのクリスマス

12月7日 被災地でのクリスマス ‹毎年、年末が近づく頃になると、とても忙しくなります。冬を迎える準備もそうですが、何と言ってもクリスマスです。イエス様のことを伝える絶好のチャンスです。今年のクリスマスはどんなことを主は御計画されているのだろう?と期待を持って色々考えます。 振り返ってみると、クリスマスの時には、特に感動のいっぱい詰まった思い出が甦ります。...

クリスマスの奇跡 -8

祈りの答え クリスマスの奇跡 パート八 (ひとしずく一三九七) そこに立っていたのは外人と日本人の二人でした。彼らは、しきりに「ハレルヤ!」と賛美を繰り返していました。ちょっと変わった人たちだと思いましたが、明るくて好感が持てました。 彼らがクリスチャンであることは、すぐにわかりましたが、当時の私は、自分が最も正当派の教会に属していると自負しておりましたので、彼らを受け入れはするものの、上から目線で彼らのことを見ていたと思います。...

クリスマスの奇跡 -7

12月5日 恩返し クリスマスの奇跡 パート七 (ひとしずく一三九六)  Aさんは、私のことをマッちゃんと呼んでいました。突然現れた彼は、アパートの戸を開けるなり、「マッちゃん、泊めてもらいたい人がいるんだけど、いいかな?」と尋ねました。(外は雪が降っています。) 私は咄嗟に「ああ、いいよ」と答えました。きっと彼は、私の所に来るのも気まずかったに違いありません。しかし、それでも私の所に来て、宿がなくて困っている人を泊めてほしいと頼みに来たのでした。Aさんの友人でも知り合いでもない人たちのために。...