11月13日 主はこの日を知っておられる
ある人が、何か自分が真に有益なことができたなら、それは神が、良い時良い場に、自分を置いてくれたからだというようなことを言っていました。
今、思うと、自分の通ってきたあらゆることが、ただ
この私の弱さ脆さを良く知っておられる神が、知恵をもってご配慮して下さっていたと思います。
当時、失敗や難儀に思えたことも、今振り返ると、ただ神様の御配慮の下に守られ、供給されていたことを思います。
また大きな間違いのように思えることも、そして自分の罪深さを悟らせ、もっと神に頼って生きることを教えてくれたと思います。結局のところ、人は生かされているのであって、神様は様々な世話を注いでくださって、存在できているのです。それが神からの直接の世話であろうと、人を通してのものであろうと、神によるのです。
考えると、それらが起こったのは、パーフェクトなタイミングであったのです。
「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある。
生きるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 殺すに時があり、いやすに時があり、こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、悲しむに時があり、踊るに時があり、 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、保つに時があり、捨てるに時があり、 裂くに時があり、縫うに時があり、黙るに時があり、語るに時があり、 愛するに時があり、憎むに時があり、戦うに時があり、和らぐに時がある。」(伝道者の書3:1-8)
主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。 (詩篇 37篇18節)
今日という日は、この伝道の書にある諸々の事柄が起こる時の流れの一断片ですが、神に知られないひと時もありません。そして主は、わたしの心をみておられます。
あなたは、あなたのすみかである天で聞いてゆるし、かつ行い、おのおのの人に、その心を知っておられるゆえ、そのすべての道にしたがって報いてください。ただ、あなただけ、すべての人の心を知っておられるからです。
(列王記上8章39節)
これらすべての出来事の中で、主から遣わされた者としてのわざを行えますように。
いつまでも残る実が結ばれますように。
主イエスよ、あなたが共にいて下さるなら、どんなに暗いと思える事態においても、光が輝きます。あなたに呼び求め、御声に従えますように!
わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしても死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。
(ローマ14章8節)