油断することなく(ひとしずく635)
カエルを熱いお湯の中に入れると、すぐに飛び出ようとします。それは当たり前のことです。ところが、お湯の温度をゆっくり上げていくと、カエルはその温度の変化に気づかず、最後には煮えて死んでしまうのだそうです。
私たちは、この世の中にいて、周りの情報、風潮、慣習、考え方、価値観などの影響を受けてしまいがちです。それは良いものもあれば、悪いものもあります。そして、残念ながら悪いものが多くなってしまっているというのが現状であり、私たちはずるずると、その中に引き込まれてしまうことが良くあると思います。ちょうどカエルのように、自分でも気づかぬ内に。
「忙しいから、何が良いか悪いか、考えている暇はない」とか、「みんながやっているから、仕方がない」「このくらいのことならいいだろう」とか、言い訳はたくさんあります。しかし、それがいつの間にか自分に大きな影響力を持ってしまい、深刻な問題になっていても気づかなくなってしまうなら、命である主とのつながりを滅ぼしてしまうことになるのです。
最近我が家では、テレビをつける時間を極力、短くするようにしました。以前はテレビのない生活をしていたのですが、ニュースを見るために震災後に小さなテレビを購入しました。ほとんど見るのはニュースですが、それでも頻繁に見ていると、家庭の雰囲気に良くない影響を与えることがわかります。これは小さなことのように思えますが、心と霊に与える影響は大きいと感じています。<今、2023年は、テレビは家の中にありません>
私たちは、見るもの聞くものに簡単に影響される存在です。大衆が、テレビの報道が、PTAの人たちが、学校の教師が、子供の学級が、恐れの霊、浅はかな流行り、偏見にとらわれていて、そうした人の姿や声をテレビを通して目にし、耳にしていると、やはり影響を受けるのです。
いつの間にか、いやだと思っていた同じことを、自分もしているのです。そして「こんなの変だ!」と言う人を、横目で見る人になっているのです。 私たちがそうなっている時、主はどうやって救いを施されるのかと思います。私たちに、この状況を何とかして下さい、という必死さがなくなった時、主は救いの手を差し伸べるでしょうか?
私たちは、欺きに満ちて密かに自分に浸透する霊の力に対して、また、自分を妥協させ、確信を見失わせ、主とのつながりを第二、第三においてももうかまわないという程にさせてしまう力に対して、頑として対抗する必要があると思います。敵(悪魔)は、巧妙な手口で私たちを主から引き離そうと狙っていることを忘れてはなりません。
もしかしたら、私たちを滅ぼそうとする霊の世界の洪水は、突然にではなく、徐々に水かさを増すように、気づかぬ内にやってくるかもしれないのですから。
どうか私たちが、主を待ち望み、油断することなく、命の泉を守り、目を覚まして祈り続けることができますように。
「勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい」 (ローマ12:21)
「油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである」 (箴言4:23)
「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日(終わりの時)がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。その日は、全地の表に住むすべての人に臨むからです。しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」 (ルカ21:34-36)