勝利にのみ込まれた死

j
2023年11月2日

(二〇一一年十一月 ひとしずく六一九)

 ある人達はこう言います。「イエス様は十字架上で殺され、地上での任務は 失敗に終わってしまった」と。
 十字架刑は、罪人としての死を遂げるということですから、確かに十字架の 死は、敗北のように見えます。
  しかし、イエス様の生涯から、その十字架の死を除いたら、私たちは主によって救われることも、また天国に行くこともできなくなってしまっ たことでしょう。 そして何よりも、イエス様の苦しみと死は、イエス様と私たちを、愛の絆によって一つに結ばせたのです。私たちがイエス様への敬慕の念を抱 くのは、多くの人 が目をそむけたくなるような、無残なその死に方のゆえでもあるのだと思います。イエス様の十字架での苦しみは、私たちのためであり、深い 愛から来ていたか らです。人々に見捨てられ、見下げられ、あざけられ、その全ての苦しみをイエス様が受けて下さったのは、私たちをそんなにも愛して救うた めだったのです。 こんな話を思い出します。ある母親は、顔にやけどの跡がありました。その子供 は小さい 時、そんなことはあまり気にしていませんでした。母親はとても優しく、子供は彼女が大好きだったので、お母さんがどのような姿であっても関係 なかったので す。しかし子供は大きくなっていくにつれ、母親の顔を気にするようになっていきました。そしてある時の授業参観に、母親に来てほしくないと 言ったのです。 子供は、母親の姿を恥ずかしいと思うようになったからでした。そこで母親は、顔にやけどを負ったその真相を、愛するわが子に打ち明けたのでし た。この顔の やけどは、昔、火事が起こった時に、赤ん坊を火の中から助け出すために負ったものだと。その赤ん坊が自分だと知った 子供は、それ以来、母の顔のやけどの跡を、恥ずかしく思わなくなったばかりか、母の自分への愛の証しとして、見るようになったということで す。 

私 たちにとっても同じです。イエスさまの悲惨な十字架上の死は、惨めな敗北ではなく、私たちへの深い愛の象徴なのです。今、十字架を見る 時、私たちは愛を感 じるではありませんか? 十字架とは元々、処刑道具であったものです。イエス様はその恐ろしい十字架、惨めな死を、最高の愛の象徴に塗り 替えられたのです。 こんな奇跡があるでしょうか?誰かが言うように、それは決して敗北でも失敗でもないのです。イエス様が命をかけて示して下さった愛こそ が、私たちに生きる 希望と命を与えてくれたからです。

主が失敗されたと言う人は、もう一つ忘れている大事なことがあります。それ は、イエス様はその十字架上で死んで朽ち果てたのではなく、3日後に復活されたという事実です。

主は今も生きておられ、私たちのために、命を捧げてくださったその変わらぬ 愛をもって、私たちを愛し、いつも共にいてくださるのです。 

イエス様の十字架上の死は、失敗でも敗北でもありません。それは完全なる素 晴らしい勝利だったのです! 

「彼にはわれわれの見るべき姿がなく、威厳もなく、われわれの慕うべき美し さもない。彼は侮られて人に捨てられ、悲しみの人で、病を知っていた。 また顔をおおって忌みきらわれる者のように、彼は侮られ た。われわれも彼を尊ばなかった。しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれ の不義のために砕かれたの だ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。」(イザヤ 53:2-5) 
「『死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。 死よ、お前のとげはどこにあるの か。』(省略)わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに勝利を賜る神に、感謝しよう。」(第一コリント15:54-55,57)

他の投稿もチェック

被災の中の希望

被災の中の希望 昨夜、勝利に酔いしれたキリスト者の集まり(近所のクリスチャンの若者の信仰の旅の報告--あとで分け合うことができるかと思います—この集まりの間中、雷が鳴り稲妻がしょっちゅう光っていました)が終わり、解散して戸を開けると、何と道の上を泥水の激流がありました。短い距離でしたが、歩いていくには大変な流れだったので車に乗って帰ってもらいました。その後、あふれる沢の流れを堰に誘導するため、コンクリートブロックや土砂で流れた石で、道路に流れないようにしていたら、そこに息子がやってきて助けてくれました。...

主が共におられた

主が共におられた 最も尊いものが、時間をかけて暗い中で生成されるという自然の法則には、たくさん学ばせられることがあります。 ジャガイモをそろそろ掘り出すころになりましたが、何日もかけて土の中で大きくなりました。明るい陽射しにさらされていたら、青くなって食べることができなくなりますので、しっかりと土の中に埋められているように見届けておかなければなりません。ジャガイモ一つとってもそうですが、鶏の卵から出てくるヒヨコも受精した後、卵の殻の中で二十日程温められていなければなりません。...