十月二九日 主のささやきに導かれて (ひとしずく一四七三)
昨日、娘のAと 秋田に帰ろうと那須の家を出発しました。そして、以前住んでいた家の近くを通過 していた時、ふと、お隣に住んでいたFさんのことを思い出しました。
ちょうど私たちは車の中で、「愛は心の中にしまっておくのではなくて、それを与えてしまうまでは愛ではない」という、オーディオのメッッセージを聞いていたところでした。
私は助手席に坐っている娘に、「(以前の)お隣さん(Fさん)どうしているかな。立ち寄ってみようか?でも、そうしたら遅くなっちゃうかな」と尋ねてみました。すると娘も、「じやあ、少し立ち寄ってみたら」と言ってくれました。私たちは何も持って来ていないし、出発も予定より遅れて時間もないし・・・とあれこれ考えましたが、さっき聞いたばかりのオーディオのメッセージ「愛するとはどういうことか」という言葉が心にひっかかっていました。
Fさんは、私の子供たちを毎日、 自分の仕事場に招いてデッサンを指導してくださった方です。彼は彫刻家ですが、自分の仕事よりも子供たちを教えることが優先のように、いつも受け入れてくださったのです。私は、いつか秋田に行きたい、と言っていたFさんの言葉を思い出しました。そして、「よし、やっぱり立ち寄ってみよう」と決断しました。
戸を叩いてみると、Fさんはいつものように彫刻をしていましたが、私たちを見ると、びっくりしつつ、満面の笑みを浮かべて迎えてくれました。そして私たちに、現在制作中の作品を見せてくれ、話が次から次へと口から溢れてきました。そして、Fさんはこう言いました。
「時々思い出して、もう来てくれないのかなと思ったりしていました」と。 私が、秋田にはFさんに泊まってもらえる部屋があることを伝えると、是非、今度訪問したいということでし た。そして、そこで、また子供たちと一緒に絵を描きたいと言ってくださいました。
私たちを懐かしく思い出し、もう来ないのかな、と思いつつ待っていてくださったFさん、そして私たちがちょうどそこを通った時、私たちの心に語りかけてくださった主の御霊に心から感謝しました。主の御霊のチェック、ささやきかけに従うことの大切さを、彼の嬉しそうな笑顔を見て思いました。
主は私たちを、このようにいつも使いたいと思っているのだと思います。しかし、私たちが主のささやきに、耳を傾け従わないなら、その主の御心は何一つ果たされることはないのだな、とつくづく思いまし た。
結局、那須を出るのは夕方近くになり、予定より大分遅れてしまいましたが、私たちの心は主の祝福で満たされていました。
「主がささやきかけてくださったあの時、通り過ぎなくて良かった。」
心からそう思いました。
≪昨日のことです。最近、私はなかなか色々なことが自分で立てたスケジュール通りに物事が進んでいないことで、少しプレッシャーを感じていました。もっと早くたくさんのメッセージを配信できたら、と思っていたのです。でも、焦っても仕方がありません。そうした中で、雪国にいる私たちは、冬の近づく気配に、しなければならないいくつものことがあります。
薪の用意、畑の収穫、ユキが積もったらできない数々のこと。そのうちの一つが、小屋の屋根のペンキ塗りです。晴れの日がもう少なくなってきているこの頃に、屋根のペンキを塗るための晴れの日というのは、貴重で逃すことができません。昨年の冬は、屋根の雪が滑らなかったことで、妻が気をもんでいました。「今年は、あなたが雪下ろしに屋根に上がらなくてもいいように、もっと早くに終わらせてほしかったのに…。彼女は、冬に大変な仕事をするのが私であることを気遣って言ってくれているのですが、後回しにしていました。それで、妻は息子に連絡して、小屋の屋根を塗ってくれるようにお願いしていて、実は昨日作業をする予定でいました。先回のペンキは、二年であっけなく剥げてしまったので、今回は、妻がペンキ屋さんから詳しく指示を聞いての取り組みです。しかし、朝方に雨が降っていたので、息子も朝早くに取り掛かる気になれなかったのでしょう。私が九時に電話した時には、もう青空が出ていましたが、まだ何時に始めるか迷っていたようでした。私は次の日は天気がまた崩れるということを聞いていたので、この日を逃したらできなくなる、というチェックがありました。息子は、息子の友人と二人でやるつもりで、妻も私が忙しいのをわかっていて私なしでやってくれるようにアレンジしてくれていました。しかし、主はどうも、その日は、私自身が関わる必要があるように導いておられるようでした。そして小屋の屋根と言っても、片側は、意外と深い側溝があるので、屋根から落ちたら大変な怪我をしてしまいます。私も屋根のペンキ塗りなど馴れていないし、何より高い所は苦手です。しかし、少なくとも私は、彼らが事故に合わないように安全性を確かめることはできるだろうと思いました。私も作業服を着て屋根に上ることにしたのです。やはり、それは主の導きでした。私も刷毛やローラーでペンキを塗ることになりましたが、三人で力を合わせてやっと終えることができたのです。終わった後は、短かったですが、いい会話を持つことができました。仕事を始める前に息子と祈ったのですが、主は祈りに応えて確かに、安全に、しかもしっかりとやり終えることができたのです。後で息子が「パパが助けてくれなかったら、一日で終わらなかったよ」と言ってました。そして息子の友人も次の日は、他のところに旅行に出かける予定だったそうで、三人そろって一日で仕上げることができたのは、やはり主のタイミングでした。主の御声に生き従うことによって、主の恵みに与ったと感謝でした≫
すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
(箴言三章六節)