十月二八日 塚本虎二 (ひとしずく六二六)
最近、古本屋さんで、塚本虎二氏の「新約聖書福音書」(岩波文庫)を見つけて、読んでいます。彼はわかりやすい福音書を目指して、聖書を口語訳にするために、自分の半生を捧げた人です。(彼の口語訳は日本聖書協会の口語訳聖書とは別のものです)
彼はある時、自分の八歳の娘に当時の文語訳の聖書を読んであげたところ「わからない」と言われたそうです。それが彼の新約聖書翻訳に取り組むきっかけになったといわれています。第二次世界大戦中は出版ができず、戦後になってようやく、彼の翻訳したものが世に出されるようになったということです。
彼は、それまである人にとっては難しく、よく意味のわからなかった聖書を、彼らのレベルに合わせて、皆がわかるようにし、多くの人々を神や聖書に近づきやすくする道を切り開いたのです。私は改めて、伝道のあり方について考えさせられたのでした。誰にでもわかる福音を、また人それぞれに合った方法で・・・塚本虎二氏の天からの助けを借りて、チャレンジして行きたいと思いました。
機会がありましたら、ぜひ塚本虎二訳の聖書を読んでみてください。わかりやすく、またとても霊感されるものです。
彼の「著作集」から、一部を紹介させていただきます。
「生活問題は自分で自分のパンをかせぎ取ろうとすることによっては解決しない。そのことは今日の社会のいたましい姿が示しているように、焦ればあせるだけ解決しなくなって来る。生活問題は人生最大の実際的信仰問題である。それをすっかり神様にまかせきるまでは解決しない。自分の働きで食っているということほど傲慢な考え方、不信仰はないからである。御心なら明日もパンを下さいと祈って黙って働く、これが信仰の「いろは」であり、生活問題の根本的解決法である。」(『著作集』第一巻.一九二~一九三頁)
「我らもクリスチャンである限り、狼の中の羊である。我らは狼らと同じ力、同じ武器をもって戦うことは出来ない。もし彼らと同じ武器なる、金銭と威力と学問と術策とをもって戦わんとするならば、我らは必ず負ける。しかし、我らの武器は別にある。それは正直である。単純である。無邪気である。無策である。マリヤの夫ヨセフが、夢の御告げに従って動いたような単純なる信頼である。一見いかにも危険なる戦法である。しかし、この戦法によるならば、我らはヨセフがヘロデ大王に勝ちしように、必ず勝つことが出来るであろう。否、既にたびたび我らは勝った。今もなお常に勝ちつつある。」(『著作集』第三巻.二三八頁)