十月二三日 境界を守る
最近、熊が大量に出没して、私たちの村、また近隣地区を騒がせています。すぐ隣の町では、女性が熊に襲われてケガをしました。熊は猛獣であって、デズニーのプーさんとは、まったく違います。怪我人は出るし、時には食われるし、リンゴの木は荒らされます。そうした危険と向かい合った者でないと、現実の問題はなかなか理解できません。
しかし、動物愛護を主張する人達の中には、こうした危険な害獣を処分してくれた猟師に対して、色々と非難してくる者がいるそうです。かわいそうとか、同じ生き物、動物の権利などなど…。色々彼らの主張にも理があり、利のために乱獲することに歯止めをかけているのだと思います。
ただ一つ、最近の熊の異常発生について、友人の猟友会のT君も言っていることですが、今の熊は人を恐れない、大きな音を立てても逃げていかない、悠々と町中に入ってくる、などと以前とは違っているそうです。
以前は、熊の棲家、領域というものがあり、また人がよく行きつける領域ともっとお互いの隔たりがあったのです。
しかし、こうした田舎では、過疎化が進み、山林の管理がいきとどかなくなり、猟師の数も減り、以前は、山里であった場所が、放棄されて、熊が出入りするようになったり、また棲家となった場所が多いのです。当然のことですが、放棄された場所には、他のものがやってくるのです。
山里は、人と熊の緩衝地帯となってくれていたのですが、それが縮小するか何もない状態になることによって、熊が人里に出没する機会が多くなったわけです。
ほんとうは、山里を守り、熊のような獣に明け渡さないことが最善でした。しかし、いったんそれを許してしまうと、もう一度取り返すことは、簡単ではありません。向こうは、そこは自分の領域だと思い込んでいて、そこが彼らの馴れた活動場所になっているのですから。
最近、村では次から次へと、畑や小屋が熊に荒らされていましたが、猟友会の方たちに感謝です。彼らは、捕獲しては処分してくれました。
以上のことは、熊の話ですが、これは、霊的にも通じることがあります。聖書には、次のような言葉あります。
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい。あなたがたのよく知っているとおり、全世界にいるあなたがたの兄弟たちも、同じような苦しみの数々に会っているのである。 (第一ペテロ五章八、九節)
ここに、「この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい」とあります。ただ敵に明け渡すべきではないということです。悪魔は獰猛に神の御国と御国の民に戦いをしかけてきます。それに対して「戦いなさい」ということです。決して逃げ腰になってはいけないということです。ヤコブの手紙には次の聖句があります。
そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。 (ヤコブ四章七節)
またイエス様は次のような話をされました:
汚れた霊が人から出ると、休み場を求めて水の無い所を歩きまわるが、見つからない。 そこで、出てきた元の家に帰ろうと言って帰って見ると、その家はあいていて、そうじがしてある上、飾りつけがしてあった。 そこでまた出て行って、自分以上に悪い他の七つの霊を一緒に引き連れてきて中にはいり、そこに住み込む。そうすると、その人ののちの状態は初めよりももっと悪くなるのである。よこしまな今の時代も、このようになるであろう」。 (マタイ十二章四三~四五節)
七つの悪霊が家(人)を攻撃してくるのですが、その家は「あいていて」とあります。開かれていて、ここに住み着きたいなら、どうぞという態度です。私たちは、主の霊ではないものに対して警戒して、場所をゆずるべきではないのです。
次の聖句もあります。
…今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。 ただし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである… (コロサイ一章二二、二三節)
私たちは、ただ神の憐みにより、救われ、聖なるものとして頂いたのですが、この聖句にあるように、「ただし..」私たちは「ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべき」なのです。この聖句から、敵と敵の侵入しようとする目論見に対して、(妥協させられて、敵を中に入れてしまうことのないように、また主のおきてのうちから道を踏み外させられないように)私たちがどんな態度でいるべきかがわかります。ですから、私たちは主への奉仕や、主に対する愛、信仰、確信を揺るがせられて、私たちの思いの中に敵の要塞を築かせるようなことがあってはならないのです。私たちが、あきらめずに敵に抵抗し、最後まで戦うなら、敵は逃げ去ります。 そして悪魔との戦いの苦しみの後にもたらされる次のような約束もあります。
あなたがたをキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなたがたをいやし、強め、力づけ、不動のものとして下さるであろう。 (第一ペテロ五章十節)