全て愛の御計画

j
2023年10月21日

十月二一日 全て愛の御計画 (ひとしずく一四七二)

  最近、愛する人を天国に見送った人や、また引っ越しで、親しい人たちと別れなければならない人と会って、お話をしていました。神の御心とはわかっていても、別れはやはり辛いものです。

 イエス様もこの世におられた時、そんな別れを経験されました。愛する弟子たちとの別れです。

聖書には、弟子たちとの別れの際、イエス様は「最後まで弟子たちを愛し通された」とあります。

  過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。(ヨハネ十三章一節)

  主は、たとえを使い、また自らの行動を通して、弟子たちを教えられました。しかし弟子たちには、あらゆる面でまだわからないことが多くあり、イエス様にかなり依存していたと思います。そんな弟子たちの前から、イエス様が立ち去る時が訪れたのです。イエス様は、愛する弟子たちをこの世に残して行くことには後ろ髪引かれる思いだったと思います。そして弟子たちにとっても、イエス様と肉体的に別れてしまうということは、絶望的にも近い悲しみであったことでしょう。しかし、彼らはその別れによって、目に見えるイエス様に依存するのではなく、イエス様の霊を自分の霊の内に感じ、またその御霊の声を心の中で聴くことを学んで行くのです。そして弟子たちは、目に見えない聖霊の力に頼るようになり、大いなるわざを行うようになって行きました。

しかし、わたしはほんとうのことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう。(ヨハネ十六章七節)。

よくよくあなたがたに言っておく。わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。わたしが父のみもとに行くからである。(ヨハネ十四章十二節)

  私たちも生きている間、死別であれ、また遠く離れてしまうということであれ家族、伴侶、親友など、愛する人との別れを経験すると思います。

しかし、主がなされることであるのなら、それはより良いことのための別れであるということを忘れてはなりません。主はその愛ゆえに、私たちが出会い親密な絆で結ばれ、幸せに過ごす時を与えられます。しかし、また愛ゆえに、主は、私たちがしばしの間、別れるのを良しとされるのです。それによって、主の愛の御計画が私たちの肉の思いを越えて成し遂げられるからです。

もちろん主は、別れることによって、私たちが悲しい思いを抱く事を知っておられ、その心を慰めようとしてくださいます。そして、神様は与えてくださった時以上に、それを取り去る時には、優しく愛情深い知恵の下になさってくださるのだと私は信じます。神は慰めに満ちた神であられるからです。

この地上では、私たちは肉によって時間的にも空間的にも制限のある存在で、神様のなさっていること全てを正しく理解できるわけではありません。しかし、それが神の深い愛をもって自分のために成されているのだと信じることによって、力と勇気、そして希望が与えられます。

愛する人の魂を造られ、またこの自分の魂を造られ、共に生きるように愛の内に計画してくださった方は、たとえこの世での一生の別れに導かれたとしても、将来、天において再び共に会うことができるようにしてくださると信じます。

主は、御自分を愛し仕える者の心の願いを叶えるために、天国であらゆる素晴らしいことをしてくださることでしょう。そこには私たちの愛する人が必ずいることと思います。なぜなら、愛する人がそこにいないなら天国とは言えないからです。私たちの心の思いを全て御存知である主は、それぞれ私たちの愛する人と共に、そこに住まわせてくださることでしょう。

この世での別れは辛くても、その時まで、主を信じて進み続けましょう。

天での愛する人との再会、それは大いなる驚きと歓喜となることでしょう!

この待ち望むべき天国を信じつつ生きられること、これこそが私たち信者の特権です。主の全ての愛の御計画を賛美します!

他の投稿もチェック

クリスマスの奇跡 -8

祈りの答え クリスマスの奇跡 パート八 (ひとしずく一三九七) そこに立っていたのは外人と日本人の二人でした。彼らは、しきりに「ハレルヤ!」と賛美を繰り返していました。ちょっと変わった人たちだと思いましたが、明るくて好感が持てました。 彼らがクリスチャンであることは、すぐにわかりましたが、当時の私は、自分が最も正当派の教会に属していると自負しておりましたので、彼らを受け入れはするものの、上から目線で彼らのことを見ていたと思います。...

クリスマスの奇跡 -7

12月5日 恩返し クリスマスの奇跡 パート七 (ひとしずく一三九六)  Aさんは、私のことをマッちゃんと呼んでいました。突然現れた彼は、アパートの戸を開けるなり、「マッちゃん、泊めてもらいたい人がいるんだけど、いいかな?」と尋ねました。(外は雪が降っています。) 私は咄嗟に「ああ、いいよ」と答えました。きっと彼は、私の所に来るのも気まずかったに違いありません。しかし、それでも私の所に来て、宿がなくて困っている人を泊めてほしいと頼みに来たのでした。Aさんの友人でも知り合いでもない人たちのために。...

クリスマスの奇跡 -6

12月4日 必死の祈り クリスマスの奇跡 パート六 (ひとしずく一三九五) あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。(イザヤ五十章十節)  真っ暗闇の中で、どんなに必死に祈っても、祈りなど聞かれないように思える時があります。この時の私はまさしくそんな状態でした。しかし、そんな時でもやはり私たちの嘆きと叫びと呼び求める声に耳を傾けてくださっている主がおられるのです。...