待ち望む Ⅱ

十月十九日 待ち望む Ⅱ (ひとしずく一七〇九) (聖書から)

その日、人は言う、「見よ、これはわれわれの神である。わたしたちは彼を待ち望んだ。彼はわたしたちを救われる。これは主である。わたしたちは彼を待ち望んだ。わたしたちは その救を喜び楽しもう」と。(イザヤ二五章九節)

あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れはてて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ四〇章二八~三一節)

異邦の偽りの神々のうちに、雨を降らせうる者があるであろうか。天が自分で夕立を降らすことができようか。われわれの神、主よ、あなたこそ、これをなさる方ではありませんか。われわれの待ち望むのはあなたです。あなたがこれらすべてのことをなさるからです。(エ レミヤ十四章二二節)

わが魂は言う、「主はわたしの受くべき分である、それゆえ、わたしは彼を待ち望む」と。主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者にむかって恵みふかい。(哀歌三章二四、二五節)

主は万軍の神、その名は主である。それゆえ、あなたはあなたの神に帰り、いつくしみと正しきとを守り、つねにあなたの神を待ち望め。(ホセア十二章五、六節)

 

被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。(ローマ八章十九節)

もし、わたしたちが見ないことを望むなら、わたしたちは忍耐して、それを待ち望むのである。(ローマ八章二五節)

今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。(第二テモテ四章八節)

彼は、ゆるがぬ土台の上に建てられた都を、待ち望んでいたのである。その都をもくろみ、また建てたのは、神である。(ヘブル十一章一〇節)

このように、これらはみなくずれ落ちていくものであるから、神の日の到来を熱心に待ち望んでいるあなたがたは、極力、きよく信心深い行いをしていなければならない。その日には、天は燃えくずれ、天体は焼けうせてしまう。しかし、わたしたちは、神の約束に従って、義の住む新しい天と新しい地とを待ち望んでいる。(第二ペテロ三章十一~十三節)

神の愛の中に自らを保ち、永遠のいのちを目あてとして、わたしたちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。(ユダ一章二一節)

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