世を照らす光

j
2023年10月10日

十月十日 世を照らす光 (ひとしずく六一四) あなたがたは世の光である・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしな さい。(マタイ五章一四、一六節) イエス様は、世の光です。そして主は私たちのことも世の光だと言われました。光には、暗闇の中で周りを照らすという任務があります。しかし、私たち自身の内に光はありません。主からその光のエネルギーを受け取らなければ、私たちには輝く力はないのです。 私たちの庭には、ソーラーライトは、その頭部に小さなソーラーパネルがついている小さなソーラー・ライトが庭の道沿いに置かれています。パネル部分に日中、太陽光が当たって、充電され、暗くなると、ライトが点灯するという、とても便利なものです。 しかし、一つだけ問題があります。もし日中、雨や曇りで、暗い一日だと、充電されず、その日の夜は、光が灯らないか、灯ったとしても、チラチラとかすかに光るだけで、足元を照らすほどの力も持ちません。   私たちの、主のために輝くエネルギーも、これと同じことが言えると思います。主と共に過ごし、主の光を十分に浴びていないなら、一日の 試練を乗り越えるほどの力は得られず、まして闇の世を照らす光とはなり得ないのです。 私たちは、主との質の高い、そして十分な時間をとり、たっぷりと主の光を浴びている必要があります。それによって、自分の歩む足元を照らすことができるばかりか、また誰かが主に近づくための道しるべにもなることができるでしょう。 主は私たちは、世の光だと言われました。私たちが光としての使命を果たせるように、しっかりと主の光で満たされますように。御言葉を学び、賛美をし、主を愛し、そして主の導きに聞き従えますように。たとえ、どんなに小さくても、世を照らす光として今日も生きられますように。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。…すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 (ヨハネ一章一~五節、九節)

他の投稿もチェック

被災の中の希望

被災の中の希望 昨夜、勝利に酔いしれたキリスト者の集まり(近所のクリスチャンの若者の信仰の旅の報告--あとで分け合うことができるかと思います—この集まりの間中、雷が鳴り稲妻がしょっちゅう光っていました)が終わり、解散して戸を開けると、何と道の上を泥水の激流がありました。短い距離でしたが、歩いていくには大変な流れだったので車に乗って帰ってもらいました。その後、あふれる沢の流れを堰に誘導するため、コンクリートブロックや土砂で流れた石で、道路に流れないようにしていたら、そこに息子がやってきて助けてくれました。...

主が共におられた

主が共におられた 最も尊いものが、時間をかけて暗い中で生成されるという自然の法則には、たくさん学ばせられることがあります。 ジャガイモをそろそろ掘り出すころになりましたが、何日もかけて土の中で大きくなりました。明るい陽射しにさらされていたら、青くなって食べることができなくなりますので、しっかりと土の中に埋められているように見届けておかなければなりません。ジャガイモ一つとってもそうですが、鶏の卵から出てくるヒヨコも受精した後、卵の殻の中で二十日程温められていなければなりません。...