十月一日 祈らないなら (二〇一一年 ひとしずく六〇四)
母親から、秋になったら来ないかと言われて、十一月の初めに実家の秋田に行くことを子供たちと話し合っていました。バイトをしている子達がいて、その都合上、家族の日程が揃わないので夏に行くのは難しかったのです。それで秋には何とか都合をつけ、皆で大根を採るのを助けに行こうかと思っていました。
さっそく娘たちはバイト先に数日休みが取れないか尋ねてみました。すると店長から受け取った答えは「ノー」でした。それで、尋ね方が悪かったのではないかということで、再度、理由を言ってお願いしたのですが、やはり休みをあげるのは難しいということで断られてしまいました。
私たちはがっかりしてから、ハッと気づきました。「待てよ。イエス様に休みをもらえるように祈っていなかったじゃないか」と。
そして私たちは、皆で、真剣に祈りました。バイトの休暇が与えられ、家族皆で、おばあちゃんのところに行くことができるように、全てをコントロールしている主にお願いしたのです。
それから数日経ちました。娘がバイトから帰るとすぐに「嬉しいお知らせです」と言ってこう伝えてくれました。「店長が、バイトを休むのは、一日ずらすなら、大丈夫だって!」
何と、主は私たちの必死の祈りに答えてくださったのです!子供たちも「祈りの答えだ!」と言ってとても喜んでいました。こうして、秋田のおばあちゃんの所に皆で行ける計画が実現できることになったのです。一時はどうにもならないように思え、あきらめかけていたことが、祈りによって逆転する奇跡を見ることができたのです。私たちの小さな、しかし必死の祈りによって主は、店長さんの思いや状況を変えてくださったのです!
主は始めから、私たちの計画を祝福したいと思われていたのでしょう。しかし、いくらそれが主の御心であっても、祈らないなら実行不可能になってしまう場合もあるのだということを、改めて学ばせて頂いたのでした。
私たちが祈らないことによって、主の祝福を逃すことのないように主が助けて下さいますように。
王の心は、主の手のうちにあって、水の流れのようだ、主はみこころのままにこれを導かれる。(箴言二一章一節)
わたし たちが神に対していだいている確信は、こうである。すなわち、わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれ て下さるということである。(第一ヨハネ五章十四節)
あなたがたは、求めないから得られないのだ。(ヤコブ4章2節)