悔い改めの奇跡

六月二四日 悔い改めの奇跡 (二〇一二年六月 ひとしずく八四八)
 
 これは、キリストの愛と真理に触れて人生が変えられた人の感動的なお話です。(久保有政氏の著「神の愛される国・日本」からの抜粋)

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好地由太郎は、明治時代に発作的に人を殺してしまい、二十三年の獄中生活を送った人です。しかし、獄中でキリストによる大回心を経験、特赦となって出獄、そののち伝道者となって全国を巡回し、数多くの人をキリストに導いたのです。以下は好地由太郎本人の筆によります。

「ぜひ語りたいことは、函館監獄において、中之目丹治(なかのめたんじ)という死刑囚の悔い改めたことであります。私が帰途、函館にまいりました時、ちょうどクリスマスの前でした。いずれの教会もその準備に没頭して、臨時集会などを開くのは不可能だと言われて、私は失望しました。しかし中之目丹治の悔い改めを見て、ただ、この一事のご用のために、今回の北海道のご用の全部を犠牲にしても、決して悔いるところはないとまで感謝しました。

実は函館監獄を訪ねて、すでに数回の講話をした後のことでした。ある日、典獄(刑務所長)が、こう頼んできました。『独房に、一人の囚徒がすでに死刑の宣告を受け、その執行を待っています。それは樺太の人間で、中之目丹治といい、相当の家に生まれ、教員をしたことのある青年です。ところが彼は自分の刑に服せず、裁決が不法だと言っては、誰にでも食ってかかり、悪口雑言、乱暴極まりなく、始末に困っています。どうか会ってやってください』と。私は快諾して、面会しました。
 彼は目をむき出して、大喝一声、「貴様は何者だ!」と尋ねます。
『私は、昔は君と同じように死刑の宣告を受け、徹窓二十三年の憂き年月を送った者だが、今はキリストを信じて、神の子とせられ、司法大臣の許可を受けて、真人間にしていただいたお礼に、日本全国の監獄をお訪ねしている好地由太郎という者です。ご不満のことは何事でも打ち明けてお話ください。ご相談のお相手になりましょう』。
 彼はしばらく黙って、何か考えている様子でした。それから手を握り、口を開いて、『ぼくは日本男児です。教育家です。善人です。慈善家です。それなのに、このぼくを捕らえて死刑に処するとは何事か。裁判官も弁護士も、典獄(刑務所長)も看守も、教誨師(受刑者を善導する人)も、ろくな奴は一人もいない。ぼくが何と言っても取り上げず、取り調べもせず、自分勝手に罪に定めて、天下の良民を死刑にするとは何事か。ぼくは死刑にされるのが恐ろしくはない。ただ不法の宣告を受けたのが残念だ。なるほど人を殺したから、道徳上はいくらかの罪はあるだろう。けれども正当防衛だ。死刑にされるはずはない。君も一度はそんな目にあったならば、ぼくに同情することができるだろう』と、自分 一人でしゃべり続けます。私は、このように自分を身勝手に義人呼ばわりする頑迷な心を、いかにして悔い改めに導けるかと、一時は当惑しました。それから神に祈って助けを求め、『それ神のことばには、あたわぬことなし』(ルカ一章三七節)と信じました。
 『君は罪を犯したが、死刑はひどすぎると言われる。元来罪というものは、商品と異なり、高い安いとこっちから値切れるはずのものではない。喜んで、受ければいのちとなります。君も長く生きたいと思うなら、喜んで殺していただくことです。人に殺されますと死にますが、お願いして殺していただけば決して死にません。必ず永遠のいのちを見いだします。』
 死にたくなくて殺されるから、苦しくもあり、また肉も霊も共に死にます。ですから、死刑を安く値切らず、君の方から喜んで死刑にしてもらいなさい。そうすれば、君も私と同じように、老・病・死という、いやなものから救われて、不老不死に至ります。つまり無色の色を見、無声の声を聞くことができます。君は今、人生問題を解決するに最も好適な交差点に立っております。地獄へ行くも天国へ行くもただ一息です。私も死刑の宣告を受けた時は、この交差点に立って苦しみました。私は二十五歳までは命がけで、悪しき事のために死にたいと思いましたが、外面から勇ましく見え、また自分でもそうだと思っていました。それはただ死の力であって、全く悪魔に欺かれておったのです。そこで二十五歳すなわち明治二十三年一月二日限り、大改革をして、今度は良き事、正しき事のために早く殺してしただくことを定めました。神のみ旨とあらば、いつでも、否、今すふにでも死んであげますと決して、祈ると同時に、心の煩悩は全く取り去られ、真の平和が心に宿ったのです。爾来、今日に至るまで、その死の与えられる日を待ちながら、このようにご恩に報いるために働いております』と自分の偽りのない体験を語って、同情の涙と共に、熱誠を込めて説きました。すると、さしもの彼もその場にぺたんと座して、両手をつき、『先生、恐れ入りました。神の声が聞こえました。神のみ顔が見えました』と、涙にむせんで悔い改めました。げに奇しきは、神の愛であります。石のような心がたちまちに砕かれて、肉のように柔らかく温かくなり、私ども二人は手を取り合って、共に祈り、感謝の涙にむせんだのでした。
 かの十字架の盗人(ルカ二十三章四十一節~四十三節)と同じように、私ども二人は、この日、明治四十三年十二月二十五日、身は、函館監獄の典獄室(刑務所長室)にありながらも、霊は主と共にパラダイスにあるを覚えました。また、罪なくして罪人とせられ、我らに代わって、贖いとなってくださったキリストの御名を、心の限り賛美したことであります。
 その後における中之目丹治の変わりようは、きわめて著しいものがありました。典獄はじめ役人たちも非常に感心し、一般囚徒の模範となり、また監獄改良の好材料ともなるとして、語り伝え、聞き伝えして大評判となりました。ついには典獄から四方大臣へ上申した結果、中之目丹治の執行期限が百日のところを満一か年猶予することになりました。それだけでなく、毎月数回の通信が特別に許され、自己の修養をすると共に、家族その他、多くの人々を救いに導き、監獄の内外にたいへん良き感化を残しました。そして翌明治四十四年十一月二十九日、喜び勇んで刑の執行を受け、一足跳びに天父のもとに帰りました。」

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愛と真理に満ちた彼の説教と、証人としての彼の忠実さに私は心打たれました。一人の忠実な証人によって、奇跡の悔い改めが起こり、その証しはさらに忠実な証人を生みだしました。このような素晴らしい証しの連鎖が世界中に広がってほしいものです。しかし、そう願うと共に、その連鎖が止まるも続くも、私たち次第であることを忘れてはならないのだと思います。誰でも、かつて自分に主の愛と真理を伝えてくれた人がいたはずです。私たちはそれを受け取り、祝福に与ったと同時に、さらにそれを他の人へとつないでいくという、使命をも与ったのです。

その使命に忠実に生きられるよう、主が助けてくださいますように。

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