四月二二日 悪の洪水にも立ち得るために (ひとしずく一一三三)
わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。
また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。(マタイ七章二四~二七)
この洪水ということについて考えていた時、「悪の洪水」という思いがひらめきました。
今この世を見ると、悪から悪へと突っ走っているように思え、まるでそれは洪水のように押し寄せている感じがします。そして聖書にあるように「不法がはびこっているので、多くの人の愛が冷え」(マタイ二四章十二節)ているのです。
この世について、聖書には次のように書かれています。
世と世にあるものとを、愛してはいけない。もし、世を愛する者があれば、父(神)の愛は彼のうちにない。すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、父から出たものではなく、世から出たものである。世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。 (第一ヨハネ二章一五~一七節)
世と世にあるものは神様から出たものではないとあります。周りの人たち皆がしているからと言って、それが正しいことで神様の望まれているものとは限りません。しかし、それが神様の御心からかけ離れたことであったとしても、誰もがそれをしているのだから、悪いことではないというように、この世は悪に対して無感覚になってしまっているのではないでしょうか。イエス様は聖書の中で「滅びにいたる門は広い」と警告しています。真理の道の入り口である門は、狭き門であり、それを見出す人は少ないのです。
狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。(マタイ七章十三節)
私たちは外からの悪を警戒すると同時に、自分の心に湧いてくる悪にも、つまり外と内との両方の悪に気をつける必要があります。
さらに(イエスは)言われた、「人から出て来るもの、それが人をけがすのである。すなわち内部から、人の心の中から、悪い思いが出て来る。不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、邪悪、欺き、好色、妬み、誹り、高慢、愚痴。これらの悪はすべて内部から出てきて、人をけがすのである」。(マルコ七章二〇~二三節)
ですから、外の悪、内の悪、自分自身の悪の思考からさえ守られ、救い出されるために、私たちにはイエス様の助けが必要なのです。イエス様の御言葉は悪を見分け、また自分のうちの罪に気づかせてくれます。
さらに、私たちはイエス様の言われた御言葉を行うということが必要です。
「神の御旨を行う者は永遠にながらえる」つまり、神の御旨を行う者は、悪の洪水に襲われても、堅く立っていることができるのです。
ところで神様の御旨とは何でしょう?
イエス様は私たちに新しい戒しめとして「愛すること」を教えられました。
この神様の御言葉を聞くことと、主の御旨、つまり愛による行いは、悪の洪水にも堅く 立っていることのできる強い家の条件なのです。
どうか、人生の堅固な家を、日々、築いて行くことができますように。
わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。(ヨハネ十七章十五~十九節)
あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ十三章三四節)