無に等しき者から「有って有る」方へ

四月十二日 無に等しき者から「有って有る」方へ (ひとしずく一一二三)
 
 無に感じることは、いいことです。私たちは実際のところ無でしかないのですから。
 私たちは塵から作られたにすぎない土の器です。そして土に帰る存在です。

しかし、この心と思いは、その体が土に帰り、また無に帰しても、まだ永遠に生き続けます。主が私たちの中に命の息を吹き入れて下さったからです。
 命の主であられる方は、私たちに命の息を吹き込み、絶えずその命の炎を霊感し煽り立てて下さいます。
 主が天からそうした霊感を注いで下さらないなら、また真理によって目を開いて下さらないなら、私たちは闇の中に忘れ去られてしまう存在です。
 しかし、創造主の命が私たちの内に宿り、永遠に主の祝福の中に生きられるようにと、主は私たちの間違った決断や選択の代価を御自分の犠牲によって帳消しにして下さいました。

主から離れては、私たちは何一つできませんし、その力もありません。多くのことができたとしても、それが滅び行くこの世での、一時の栄えであるなら虚しいものです。
 永遠の主、愛の主よ、どうか私たちをあなたにつながる枝として下さい。私たちの結ぶ実が、永遠に残る実となり、あなたの喜びとなり、人の魂の食する糧となりますように。

無と虚しさの中に、光と命を生じさせる方・・・。

主の御意思のあるところには、虚しさも無も闇も関係がありません。

虚しい闇が、周りだけではなく、自分の心をも覆っているように思える時、どうか思い起こさせて下さい。私たちと共にいて下さるあなたには、闇も暗くはなく、夜も昼のように輝くということを。あなたの一声で、光が生じることを。

外にでもなく、内にでもなく、ただあなただけに目を留め、あなたの名を呼び求めることができますように。

無に等しき者から、有って有る方へ。

しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あら われ るためである。(第二コリント四章七節)

あなたには、やみも暗くはなく、夜も昼のように輝きます。あなたには、やみも光も異なることはありません。(詩篇一三九篇一二節)

神はモーセに言われた、「わたしは、有って有る者」。また言われた、「イスラエルの人々にこう言いなさい、『「わたしは有る」というかたが、わたしをあなたがたのところへつかわされました』と」。(出エジプト三章十四節)

はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(創世記一章一~三節)

主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。(創世記二章七節)

  イエスは彼女に言われた、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。(ヨハネ十一章二五、二六節)

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