四月七日 神の愛の証し (ひとしずく一一一四)
スリヤ王の軍勢の長ナアマンはその主君に重んじられた有力な人であった。主がかつて彼を用いてスリヤに勝利を得させられたからである。彼は大勇士であったが、重い皮膚病をわずらっていた。さきにスリヤびとが略奪隊を組んで出てきたとき、イスラエルの地からひとりの少女を捕えて行った。
彼女はナアマンの妻に仕えたが、その女主人にむかって、『ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼はその重い皮膚病をいやしたことでしょう』と言ったので、ナアマンは行って、その主君に、『イスラエルの地からきた娘がこういう事を言いました』と告げると、スリヤ王は言った、 『それでは行きなさい。わたしはイスラエルの王に手紙を書きましょう』。
そこで彼は銀十タラントと、金六千シケルと、晴れ着十着を携えて行った。(省略)そこでナアマンは下って行って、神の人の言葉のように七たびヨルダンに身を浸すと、その肉がもとにかえって幼な子の肉のようになり、清くなった。(列王記下五章一~五、十四節)
テモシー・ケラー氏は「Counterfeit Gods」(偽りの神々)という本の中で、この奴隷としてスリヤに連れ去れたイスラエルの少女は、ナアマンの物語(列王記下五章)の中で最も聖書全体のメッセージに生きた証人だと告げています。
「スリヤびとが略奪隊を組んで出てきたとき、イスラエルの地からひとりの少女を捕えて行った」とありますので、彼女は、おそらく、自分の両親から引き離され(もしかしたら両親は殺されさえしたかもしれません)、彼女の意志に反して、故郷から無理やり連れ去られたのです。
多くの人は、自分にそのような悲惨さをもたらした人たちに対して、恨みを持ったり、苦い思いを持ってしまうものです。もし、この少女のような立場であったなら、自分をそのようなひどい目にあわせ、奴隷とした主人がライ病であると知ったら、罰が下ったのだとか、神様がもっと懲らしめてくれればいいと思うかもしれません。
しかし、この少女は、自分を奴隷とした人たちを裁いたり、また呪ったり、苦い思いを持つことをしませんでした。むしろ、心から主人に仕え、主人の病を案ずるその妻に、問題の本当の解決につながる答えを告げたのです。イスラエルの真の神の預言者なら、きっと癒すことができると。これは敵である主人に対しての愛の証しであり、彼らが本当の神を見出すチャンスでした。
もし、彼女が主人に対して恨みを抱いていたなら、決してそのような憐れみも同情も持つ事はなかったでしょう。彼女は、恨んで当たり前の人に対して、自分の心がそういう気持ちを抱くことを許しませんでした。彼女の心は、神様の霊が彼女を通して、真理を証しすることができるほど、自由だったのです。
それは、イエス様の姿に重なります。イエス様は、自分を十字架につけ、嘲る者たちを恨むことなく、むしろ彼らのために、とりなして祈られたのです。自分の命を救おうとはされずに、自分から命を奪おうとしている者たちも含めて、周りの人たちに愛の思いを抱いておられました。
彼らは自分で何をしているかわからないので、彼らを赦してやってください、と天の父に祈り(ルカ二三章三三節)、また自分が死んだ後、母のマリアを世話してくれるようにと弟子のヨハネに告げたり(ヨハネ十九章二五~二七節)、また自分の隣で十字架にかかっている者に慰めと励ましを与えたり(ルカ二三章四二、四三節)、最後までイエス様は仕えることをされたのです。
私たちは、イエス様が示されたこうした態度から、また奴隷として連れて行かれたイスラエルの少女から、大切なことを学ぶことができると思います。
陰謀や権力で自分の国を滅ぼし、大切な人の命を奪い、自分を奴隷にする敵国の指導者達の悩みを解決してあげるために、神の預言者を紹介する、神様による解決策を伝えるという、こうした献身と証人としての生き方は、現代の暗い時代を生きている私たち主の子供たちにとって、目を開いてくれるものではないかと思います。
主がどうか私たちに、自分の敵さえも愛する力を与えて下さいますように。そして主の僕として、闇の中で主の光を輝かすことができますように。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(マタイ五章四四節)
だれに対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。
あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。 愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。「復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。」 もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたなら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。
悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。 (ローマ十二章十七~二一節)
ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。 (エペソ四章二五~二七節)