リセット

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2023年4月6日

四月六日 リセット (二〇一三年三月 ひとしずく一一一一)

 インターネットやテレビなどという便利な情報手段が提供され、その益に与れることは感謝ですが、同時に、情報に埋もれてしまい、かえって正しい判断が損なわれてしまうということもあり得ると思います。人はあまりにも膨大な情報が与えられると、処理しきれなくなり、物事を把握もできないし、 また理解もできなくなってしまうのではないかと思います。
 時々、コンピューター機器がリセットを必要とするように、私たちの思い、思考もリセットが必要だと思います。

私も実は最近、終わりの時のしるしについてリサーチしていて、ある一つのことについて、色々な見解があることを見つけ、何が正しい情報なのかとはっきりしませんでした。そのことを娘と話していたら、彼女がこんなアドバイスをしてくれました。

「将来何が起こるかの情報については、私だったら、幾つか調べて、何が本当なのかわからなくなったら、一つ確かな点にフォーカスすることにする。つまり、聖書で預言されている出来事にフォーカスして、たとえどんな経路で物事が起ころうと、聖書に書かれているイエス様が帰って来ることとか、至福千年が始まるとかといった確実な一点に自分の思いをフォーカスする。すると、そこに至るための数多くの可能性があり、またそのための多くの解釈があっても、不確かさによる落ち着かない気分は無くなってしまう」と。なるほど、と思いました。
 どんな経路を通っても、確かにそこに到達するとわかるなら、中間経路の詳細がわからなくても、不安になる心配はありません。
 私たちは、その中間経路の詳細に目を留め、混乱し、振り回されるのではなく、ただ、そのための備えとして、どんな点に注意していたら良いかということにフォーカスしていれば良いのです。それはやはり確かな情報である聖書をしっかりと学ぶ必要があるということに行きつくと思います。
  世の与える情報は、数限りなく、まず真偽を確かめなければならないというところから始める必要がありますが、聖書の真理は、私たちの物事に対する考えの礎となりまます。また地図で言ったら、目的地まで迷わず行くための一つ一つのランドマーク的な地点のようなものを示してくれます。
 氾濫する情報ばかり見ていたら、特に陰謀説<あるいは陰謀事実>といった思いが汚れるような情報に触れていると、主の平安や真理を忘れてしまい、簡単に不安と恐怖に襲われてしまいます。確かに、終わりの時のしるしとしての情報を知る必要はありますが、時々、氾濫する情報から離れ、つまりそれらをリセットして、 主の前に静まり、主と交わり、瞑想することは、非常に大切なことだと思います。そうすることで、主は、主の見解を私たちにインプットしてくれます。そして 聖霊は、私たちに、主の確かな約束を思い起こさせて下さいます。

最近、ある姉妹が思い煩いが満ちてしまい、大きな落胆に遭遇していました。その時、その人にとって、治療薬となったのは、ただ自分のすべきことを謙遜になってやることだということでした。頭の中でああでもない、こうでもないと心配して苦悩しているのではなく、謙って、ただ主の置かれた場所で、自分の務めを忠実に日々行うことだと気づき、リセットできたのだそうです。

私も最近、そうした小さなこと、肉体的なこと、体の世話、毎日の家事でも、心を込めて行うなら、悩み事はどこかに無くなってしまっていることに気づきました。
 私にとっては、木を切ったり、薪を運んだりすることはとても効果があります。それは自分たちが暖かさを必要としていて、それが無かったら耐えられない弱い体の持ち主であり、そのために、自分のできることをただコツコツとし続けなければならない小さな存在だということを思い出せてくれるのです。これは私にとって良いリセットです。

 暗くなる一方の世界の状況にあって、試練や問題に遭遇することになったとしても、主が共にいて下さるという事実こそが、私たちの心に平安を与えてくれるものだと思います。主が守っていて下さり、どんな状況においても助けて下さると信頼することは、思い煩いや心配から私たちを解放し、私たちの思い と霊を新たにして下さるのです。
主が皆さんを、思いのリセットによって新たにし、主の思いで満たして下さいますように、お祈りします。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわた しを 慰めます。(詩篇二三篇四節前半)

主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出されるからである。主はその羽をもって、あなたをおおわれる。あなたはその翼の下に避け所を得るであろう。そのまことは大盾、また小盾である。あなたは夜の恐 ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。」 (詩篇九一篇三~六節)

主よ、わが心はおごらず、わが目は高ぶらず、わたしはわが力の及ばない大いなる事とくすしきわざとに関係いたしません。かえって、乳離れしたみどりごが、その母のふところに安らかにあるように、わたしはわが魂を静め、かつ安らかにしました。わが魂は乳離れしたみどりごのように、安らかです。」(詩篇一三一篇一、二節)

主は恵みふかく、かつ正しくいらせられる。それゆえ、主は道を罪びとに教え、へりくだる者を公義に導き、へりくだる者にその道を教えられる。(詩篇二五篇八、九節)

主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ四〇章三一節)

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