四月三日 神の御言葉 パート2 (ひとしずく一二二九)
□ ホーワード・W・ポープ博士は、ある若い女性の話をしてくれました。その女性がある本を購入して、一通り最後まで読み終えた時、その本はこれまで読んできた本の中でも一番つまらない本だったという感想をもらしたそうです。
その後しばらくして、女性はある若い男性と知り合いました。そして付き合いを重ねる内に友情は愛へと育っていき、二人は婚約したのです。
ある日の夜、フィアンセの家を訪れていた時、女性は彼に言いました、「私、書斎に本を持っているのだけれど、著者の名が全くあなたの名前と同じなの。これって偶然の一致かしら。」
すると、彼は答えました。「そうは思わないな。」 「どうして?」 「なぜって、僕がその本を書いたからさ。」
その日、彼女は夜が明けるまで、一晩中かかって、もう一度その本を読みました。そして読み終えた時、彼女はその本がこれまでの人生で一番興味深いものだと思ったのです!
そのわけは? 彼女は今、その著者を知っていたし、また彼を愛していたからです。
□ 何でも批判する者もいれば、何でもすぐ喜んで受け入れてしまう者もいる。賢い人は、御言葉によってすべてのものを計りにかける。
□ 偉大なる人物は、神の御心を見いだすために神の言葉を学ぶという鍛練を重ねることによって、形成されてきた。–ジェームス・W・アレキサンダー
□ 御言葉にしっかりとしがみつきなさい。御言葉があなたから離れなくなるくらいに。
□ 御言葉を読んで事実を知り、御言葉を学んで意味をつかみ、御言葉を深く考えて益を受けなさい。
□ 人の作る本と、人を作りあげる本には、雲泥の差がある。
□ まだ救われてまもない人に誰かがこう尋ねた。
「聖書が霊感を受けて書かれてるって、いったいどうして信じることができるんだい?」
「僕に霊感を与えてくれるからさ!」と彼は答えた。
□ ロンドンのある著名な新聞の編集者が、国会議員、大学教授、作家、実業家などの重要人物百人に、一通の手紙を送った。質問の内容はこうである。
「あなたが刑務所に送られてしまうと仮定します。そしてたった三冊しか本を持っていけないとしたら、どの本を持っていきますか? 重要だと思う本から順番に列記して下さい。」
返答された百通の内、九十八通がそのリストの一番上に、聖書と書き記していた。その人達の内には宗教に非常な関心を持っている人はほとんどいなかったし、多くは教会にも通っていない人達だった。また、不可知論者や無神論者もいた。それなのに、暗く困難な時には、聖書以外に喜びや慰めを与えてくれる本はないということを知っていたのである。
□ あるアフリカの酋長が、英国の偉大さの秘密を知りたがっていると聞いたヴィクトリア女王は、その手に聖書を持ってこう言った。
「酋長にこう告げなさい。この本、聖書こそ、我々の偉大さの秘密ですと!」
□ ムーディーは言った。 「私達を自由にしてくれるのはキリストの血だけである。そして、私達をゆるぎない者としてくれるのは御言葉だけである。」
□ 人を神へと引き上げることのできる本は、神から下ってきたに違いない。
□ ばらばらになってしまった聖書の持ち主は、大抵素晴しい人生を送っているものである。
□ 敬虔に聖書を読むとはいったいどういうことなのかと友人に尋ねられた若い女性は、このような答え方をしたそうです。
「昨日の朝、私は手紙を受け取りました。私が身も心も捧げている方からの手紙です。隠さずに言いますけど、私はその手紙をもう五回も読みました。でもそれは、一回読んだだけでは理解できなかったからでもなければ、何回も手紙を読んだということで手紙を書いてくれた人に褒めてほしかったからでもありません。私にとってそれは、義務感とかいうものではなく、純然たる楽しみなのです。それを読むのは、私が、その手紙の送り主に身も心も捧げているからです。
そのような動機で聖書を読む事が、敬虔に聖書を読むということです。そして、そのような態度で読む人にとっては、聖書はまさにラブ・レターなのです。」
初めに言(ことば)があった。言は神であった。そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。(ヨハネ一章一、十四節)
神の言葉は生きていて、力があり、もろ刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺しとおして、心の思いと志しとを見分けることができる。(ヘブル四章十二節)
わたしはあなたにむかって罪を犯すことのないように、心のうちに御言葉をたくわえました。(詩篇一一九篇十一節)