四月二日 神の御言葉 (ひとしずく一二二八)
□ 英国とビルマが戦争していた一八二四年、ジュドソンが投獄されてしまったため、ジュドソン夫人は、印刷に回すばかりになっていたその貴重な原稿を、家の床下に埋めました。
ところがひっきりなしに続く土砂降りの雨のために、かびが生え始めたので、夫人は機転を働かせてその宝物を綿でくるみ、カバーをつけて枕にし、ジュドソンに使ってもらうために獄に持ち込んだのでした。
ところが九ケ月後、ジュドソンはさらに奥の獄舎に移され、五組の足かせをつけられ、他の百人の者達と一緒に、翌朝の日の出前に、竹ざおに縛り付けられて処刑されると言い渡されました。
その苦難の夜、貴重な枕の為に、多くの祈りが天に立ち昇りました。そして、枕は看守の持ち物となったのでした。そこでジュドソン夫人はもっと良い枕を作って、看守に枕の交換を持ちかけたのでした。
枕はジュドソンの元に戻り、彼は殺されずに済みましたが、慌ただしく別の場所に移されてしまいました。彼は、枕は離さず持って行きました。ところが、ある時、看守の一人がそのカバーとなっていたクッションの紐をほどいて、中の綿を中庭に投げ捨ててしまったのです。
さて、そこにビルマ人のクリスチャンがいました。彼はそれを見つけましたが、その価値を知らなかったので、愛する主人の形見としてとっておくことにしました。そして何ケ月も後になって、その中身は、全く損なわれていない状態で彼の所で発見されたのでした。
終戦後、この新約聖書は印刷され、また一八三四年、全聖書がビルマ語に翻訳されました。ビルマ語は、その構文と複雑な組み合わせのせいで、格別に難しい言語です。
□ 神が唯一の聖なる方であられるように、聖書も唯一の聖なる書物である。
□ 御言葉を学ばず、それでもなお大いに用いられたクリスチャンなど、一人も見たことがない。
□ もし私が悪魔であったなら、私の最初の狙いは、人が聖書を熱心に読まないようにすることであろう。
□ 聖書の神の約束は救命具のようなもの。魂が災いの海に沈まないようにしてくれる。
□ 主は主の子供達のために食卓を整えて下さるが、あまりにも大勢の人々がダイエットしている。
□ 聖書とは、キリストが活字になったものである。霊感された御言葉とは、あるがままのキリストの肖像である。
□ 私達は神の御業にはその御手を見るが、その御言葉の中には神の御顔を見る。
□ 人が御言葉の内にあって、強ければ強いほど、その人は祈りの内にも強くなる。
□ 御言葉は生きている。それは私に話しかける。御言葉には足がある。それは私の後について走って来る。御言葉には手がある。それは私を捕らえて離さない。―マルチン・ルター
□ アイザック・ニュートン卿は、ダニエル十二章四節の預言に関して、その預言が真実であるなら、新しい交通手段が発明される必要があり、知識がそれほどにも増し加わるために、人は時速八十キロのスピードで旅行することができるようになると述べましたが、それは驚くべきことです。
ボルテールは、非常に懐疑的にこう言いました。 「さあ、万有引力を発見した、かのニュートンの非常に優れた頭脳を見てみよ。ところが聖書と呼ばれる書物を学び始めた途端に、ニュートンは、聖書のナンセンスに功績を与えるために、人類の知識が増し加わって、われわれは時速八十キロのスピードで進むことができるようになると信じてしまった! 哀れむべきほどのもうろくぶりだ!」
さて、今日では、懐疑論者でさえこう言わざるを得なくなっています。
「賢い哲学者だったのはニュートンの方で、もうろくしていたのはボルテールの方だった」と。
□ バートル・フレル卿はインドを旅していて、ある小さな町を訪れたのですが、偶像崇拝の神殿や宮はからっぽで、町の人々は皆キリスト教を信じていることに、驚いてしまいました。というのも、何年か前に、その町の住民の一人が、そこに住んでいたイギリス人から古い上着をもらい、その服のポケットに、現地の言葉で書かれた福音の一部のトラクトが何枚か入っていたからでした。
生命は、種を撒く人の内ではなく、種の内に宿っているのです。たとえ不信者が聖書を破き散らしたとしても、彼のしていることは、自らの胸壁を爆破することになります。
□ ロンドンのある無神論者は最近、聖書について、現代ではどんな本であれ、著者が不明のものを信じるのは到底不可能だと語りました。するとあるクリスチャンは、誰がかけ算表を編纂したのか知っているかと尋ねました。無論、無神論者は、 「いや、知らない」と答えました。
「それなら、かけ算表が正しいとは思わないわけですね?」
「いや、正しいと思います。そこに書いてある通りになりますから。」
「聖書も同じです。」 これに対して無神論者は反論のしようがなかった。
□ 私は聖書
神の素晴らしい図書
時を越えた真理の言葉
疲れ切った巡礼者には、私は頼りになる杖、
暗黒の陰うつさの中に座する者には、私は栄光ある光
重荷を背負って身をかがめる者には、私は甘美な休息
行く道を失った者には、私は安全なガイド
罪によって傷ついた者には、私は癒しの香油
落胆した者には、私は喜ばしき希望のメッセージをささやく
人生の嵐にさいなまれている者には、
私は確かで不動な錨 (いかり)
たった一人で孤独に悩む者には、
私は熱にうなされた者の額に置かれる冷ややかで、柔らかい手
ああ、人の子よ、私を擁護したいなら、ただ私を使うことだ!