三月三十日 貧乏くじ (二〇一三年 ひとしずく一二二六)
最近、騙されたり、裏切られたりの話をよく耳にします。そのような話を聴いていると、心も暗くなってしまいます。残念ながら「(終わりの時には)不法がはびこるので多くの人の愛が冷えるであろう」というイエス様の言葉が成就しつつあるように思えます。
しかし、最近聞いた次の話は、そんな時代にあっても、どんな生き方をすべきか、考えさせられるものでした。
Nさんから聞いた彼女の旦那さんのお話です。
彼が東京に出てきて、それほど経っていなかった頃のことです。後にその会社は東京でも有名な会社になりましたが、その頃は、まだ始めたばかりで資金繰りも簡単ではなかったそうです。そんな時、彼は、知り合いの人に頼まれて保証人となりました。が、騙されて、突然三千万円の借金を抱えることになったのです。当時の三千万は、今の三億位に相当するお金だそうです。
若かった彼にとっては、莫大過ぎるほどの額でした。しかし彼はそのことで、その人を追求し訴訟することもできたそうですが、そうはせず、自分が保証人になったのだから、自分の責任だと、その借金を全て、潔く背負うことにしたのだそうです。
彼は、毎月、毎月、仕事に専念し、その返済のために必死の努力を払いました。そしてついに、全て返済し終えたのだそうです。
それを見ていたある銀行の年配の頭取は、当時の若いNさんの旦那さんの態度に関心し、お前さんのためなら、銀行がお金を出し渋っても、私が個人的にでも助けてあげようとまで言ってくれて、それを機会にその頭取の人との親交が始まったのだそうです。それは、後のNさんの事業にも人生にも大きな助けとなったことでしょう。
時々、主が設定される状況は、私たちには、理解しがたいことがあります。しかし、そのような状況の中で、Nさんの旦那さんのように、私たちは様々な益に与ることができるのではないでしょうか。
赦しと愛を学ぶ機会を与えられたり、自分が全てを支配している神ではないことに気づかせてもらえたり、自分の力やまた計画、思いから離れて、主の知恵、知識に目を向けること、そして、神ご自身のなさりたいことをなして頂くこと等々、まだ他にもたくさんの益があると思います。
ですから、どうしてこのようなことが起るのか、裏切られたり、自分が貧乏くじをひいてしまったように思えたり、神様は、こうした不公平なことが起るのをどうして許されるのだろうか、と思う時には、これらの益について目を留めてください。
人知をはるかに越えたキリストの愛(エペソ三章十九節)が、あなたが困難を乗り越えるのを助けてくださいますように。
最後に、私の好きな「星野富弘」さんの詩を紹介します。彼は若い時、体育教師をしていましたが、クラブ活動で生徒達に模範演技を見せようとした時の事故により、首から下が不随となりました。彼が口に加えて描く、詩や絵は多くの人々の心の慰め励ましとなっています。
貧乏くじ
引いてみるといいですよ
私はすごいのを当てたことがあります
希望とか愛とかどこにでもありそうですが
本物はなかなか手に入らないものが当たるんです
貧乏くじ
はずれはないそうです
引いてみるといいですよ
聖書に書いてあるとおり、「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮びもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。(第一コリント二章九節)
神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くとい うことを、わたしたちは知っています。
(ローマ八章二八節 新共同訳)