三月二七日 今も生きている神、イエス・キリスト パート2
(二〇一三年 ひとしずく一二三五)
私は帝王切開の手術を受ける前、腎臓病をわずらっていました。私が退院してから七日ほどたったころ、私の左側の腎臓に激しい痛みがありました。(省略) 私の皮膚は黄色になり、私の家族や近所の人たち(彼らがあとで私に話してくれました)は、私が死ぬことになると思っていたそうです。 (省略) ある日の晩、私は信じられないくらいに体が衰弱しているのを感じました。私は自分が死のうとしているとわかりました。 私は神の御名を呼び始めました。 「エホバよ、もし私が死ななければならないのでしたら、あなたの御名を呼びながらそうしたいと思います」
私は「イエス・キリスト」ということばを口にしませんでした。なぜなら、私はまだ彼を信じてはいなかったからです。私は「肉体から抜け出る」ことをすでに体験しており、私は肉体の中にいる霊であることも知っており、暗闇や苦痛も経験していましたが、まだイエス様を私の救い主として信じていませんでした。
朝、私が起きると、さらに衰弱していました。私の息づかいはとても重くなっており、私の両足はとても弱くなっており、私は死が間近にちがいないと悟りました。私は寝室から歩いて出ると、床の上で倒れました。私の骨々の内部に、描写できないくらいに異様な冷たさがありました。そして、私は呼吸困難になりつつありました。私の頭の中には、私が死のうとしていることに何の疑いも存在しませんでした。
私はそっと言いました。「エホバよ、私に勇気をお与えください、死ぬため、そして私の幼い子どもたちと別れるために。あの子たちには面倒を見てくれる人がだれもいないのです」
突然、私の前に一人の婦人が立っているのが見えました! 私は、その婦人は近所のペンテコステ派のクリスチャンだとわかりました。彼女は私の家から何軒か離れたところに住んでいました。
私はかつて、道で彼女を見かけたら、向きを変えていました。私は彼女からイエス様についての話を聞きたくなかったのです。
私が彼女をじっと見ていると、耳に聞こえる声がこう言うのが聞こえました。
「彼女のところに行きなさい!」 私はその声に答えて言いました。
「私はペンテコステ派の人の前で屈辱を味わうつもりはありません!」
その声がふたたび私にこう言いました。 「彼女のところに行きなさい! あなたにチャンスがあります! あなたは死のうとしているのです!」
その声がそう言った時、私はそれは真実だとわかりました。私は死を間近に感じていたからです。
私はその婦人の家に行くことにしましたが、いやしのためにお祈りしてもらおうと考えていたわけではありません。私は奇跡を信じていなかったからです。
私は五歳の息子を呼び、私がその婦人の家に行くのを手伝ってくれるように言いました。(省略) 私たちはその婦人の家に着き、玄関のポーチに入りました。その婦人は私を見ると、目を見開いてこう叫びました。
「まあ、こんな状態で、ここで何をしておられるの、お嬢さん?」
私は言いました。「アンナ夫人、私がここに来たのは、神様が私に死ぬ勇気を与えてくださるようにと、あなたにお祈りしていただくためです。私はきょう死ぬはずです。すると、私の子どもたちには面倒を見てくれる人がだれもいなくなります」
彼女は私に大胆にこう言いました。 「あなたにお話しさせてください! きのうの同じイエス・キリストは、きょうも同じイエス・キリストです! 彼は変わってはおられません。彼はあなたをいやしてくださいますよ、あなたが彼を信じられるようになるために」
私はそういうことばを聞きたくありませんでした。彼女はこう言いました。「おうちに帰って、お祈りしてください。私はここであなたのために祈ります。そうすればあなたはいやされます」
彼女は私に、油の入った小さな瓶をくれました。そして、私の体の痛いところならどこにでもその油を塗りなさいと私に言いました。
「なぜなら、聖書が、病人たちに油を塗って祈りなさいと言っているからです。ヤコブ五章十四節にこう書かれています。
『あなたがたの中に、だれか、病弱でいる人がいますか? その人は教会の長老たちを呼びなさい。そして彼らは、主の御名によってその人にオリーブ油を塗って、その人のために祈りなさい。そうすれば、主がその人をいやしてくださいます』」
それから私はその家を後にしました。ただし、私は彼女のことばで少し当惑していました。
私は家に帰り、玄関から入ったとたん、床にひざまずくように促されるのを感じました。私はその油を取り出し、私の額の全体にそれを塗りました。(私が自分の感覚を持つのも、厳しい試練でした。私は何か不思議な次元の中に浸かっていたのです)
私はそれを私の左の腎臓の上に塗りました。それから私は祈りたいと思いました。
私は天を見上げ、こう言いました。
「お父さま、イエス・キリストの御名によって、また、あなたの聖霊の御力によって、私をいやしてください。あなたが私のために行なってくださるどんなことも、私はこれから語っていきます」
次の瞬間、私は電気が私の足のつま先に入るような感じがしました。それは私の全身を通って上って行き、私の頭に達しました。そこで、それはしばらくとどまりました。それから、その電流は私の体から離れました。
私は起き上がり、窓の外を見ました。木々は、ゆがむことなくそのままの場所にありました! 私は叫んで言いました。
「今まで通りの世界になってるわ! あの痛みが左の腎臓からなくなっているわ!」 私が鏡のところに駆け寄ると、私の顔は正常に戻っており、私の知性もはっきりしていました。私は家の周りを叫びながら走り始めました。
「イエス・キリストが今でもいやしてくださるのは、本当だわ! イエス・キリストが今でもいやしてくださるのは、本当だわ!」
私はとても良い気分でした。私は家を掃除し、料理を作り、私の幼い子どもたちに食事を与えました。
その晩、私の夫が帰宅すると、私は何気なく、夕食をとりたいかと彼に尋ねました。彼はまるで幽霊を見ているかのように私をじっと見つめ、こう言いました。
「君に何が起きたんだい?」私は、わざとこう尋ねました。「どういう意味?」
彼は叫んで言いました。「何が起きて、君はそんなに元気になったんだい?」
私は言いました。
「何が起きたのか、知りたい? イエス・キリストが私をいやしてくださったのよ!」
私の夫は叫んで言いました。「私たちはその教会に行かないといけないね!」
私はこう自問しました。「その教会に? 彼はどの教会のことを言ってるのかしら? あのペンテコステ派の教会のことでなければいいんだけど」
しばらくして、そのペンテコステ派の近所の婦人が私を訪問して、私の具合を尋ねました。 私は彼女にこう言いました。 「イエス・キリストが私をいやしてくださいました!」
彼女は言いました。「あなたは教会に行って、この奇跡のことを証ししないといけないわ! あなたがそうしたくなった時は私に知らせてください。あなたを教会にお連れするわ」
私は、ためらいと、気乗りしない思いとを抱いたまま、こう答えました。 「考えておきます」
彼女が帰るやいなや、私は寝室に入りました。私は天を見上げて、こう言いました。
「あなたは私に、私には霊があることを教えてくださいました。 あなたは私に、イエス・キリストが今でもいやしてくださることを教えてくださいました。真理があるところを、今、私に示してください。私はあなたにお仕えすることをお約束します」
ただちに一つの声が聞こえました。この時は、その声は私の頭の内部でした。私はその声がこう言うのを聞きました。
「私が道であり、真理であり、命なのです。私を通してでなければ、だれ一人御父のもとへ来る者はいません。私がその門なのです。もしだれかが私を通って入るなら、その人は救われるようになります。 私が、この世の光なのです。この私について来る者は、決して闇の内を歩むようにはなりません」 (ヨハネ十四章六節、十章九節、八章十二節)
突然、私の知性が大いなる理解力をもって開かれました! 私はこう言いました。
「あなたは、だれ一人御父のもとへ 『来る』 者はいないと言われます。あなたは、だれ一人御父のもとへ 『行く』 者はいない、とは言われません。つまり、イエス様、あなたと御父とは一つなのですね!」
ここで神は、私がかつて教わってきた数々の偽りの洗脳連鎖の環を、また一つ壊してくださったのです。私は言いました。
「あなたは、あなたが光であられ、もし私があなたについて行くなら、私は闇の内を歩むようにはならない、と言われます。それは、私の宗教団体が私に教えたものではありません。彼らは、もし私が彼らから離れたら、私は闇の内を歩むようになる、と言いました。あなたは、あなたが真理であられると言われます。ですから、真理は、何かの宗教団体のことではありません。あなたこそが真理であられます!(省略)
近所の人々はみな、神が私になさった奇跡を見ました。私の皮膚も正常な色に回復しました。私があの医師のところに行きましたが、尿検査の結果も正常でした。その医師は私にこう話しました。
「ヘイディーさん、あなたの尿検査が陰性になったのは、この二年間で初めてのことです」
私はその医師に証しするチャンスがありました。彼はそれが奇跡であることに同意しました。
その医師のオフィスから出ようとした時にその秘書が私に話してくれたことですが、彼らは私が死ぬと思っていたそうです。その後、私は超音波検査を受けました。すると、私の腎臓は左右二つとも正常な大きさで全く健康であることがわかりました。神様に栄光がありますように!
それから私はイエス・キリストを私の個人的救い主また主として受け入れることを決意し、そのペンテコステ派の教会を訪れるようになりました。私は、そのペンテコステ派の教会に通い続け、私の命を神様に献げました。