三月二十日 歌い継ぐ (二〇一三年三月 ひとしずく一一〇三)
太田俊雄氏著「矢と歌」という本を友人からお借りして、バイブルクラスで読ませて頂きました。太田氏は、敬和学園の創設者で、この本を通して彼がどうやって教育者への道を歩んでいったかの背景を知ることができました。
太田氏は、少年時代、自分を深く愛してくれた柴田先生という教師と出会いました。柴田先生は、この一人の少年に自分の夢を託します。課外時間を使い、自分の家に招き、頻繁な接触を通して、訓練と思いを注いだのでした。
わたしは大空に向って一本の矢を放った
その矢は空の彼方に飛び去って、見えなくなってしまった。
わたしは大空に向って、一つの歌をうたった。
その歌声は、地の果てに消えてしまった。
だが、何年もたって、わたしが道を歩いていると、
道ばたの樫の木の大木に、
あのむかし見えなくなってしまった矢が、
折れもしないで、グサリと突きささっているのを発見した。
そして一人の友の心のなかに、あの歌がはじめからおわりまで、
そのまま歌い続けられているのを知った・・・
一人の青年教師が貧乏な一人の少年に、全身全霊を込めて注いだ結果が、素晴らしい実として、次の時代を担う教育者をつくり出しました。
クラスの中でも特にこの一人の少年に特別な愛と関心を注いだこの教師の教育方法は、今では、きっと沢山の批判を浴びることでしょう。えこひいきで不公平だとか、学校以外では先生は生徒と関わるべきではないとか…。
しかし柴田先生の正しさは、聖書に、「木はその実によって知られる」とあるように、教育者、太田俊雄という人物を育てあげたことで証明されました。柴田先生が学校を去ったあと、当時少年だった太田氏は不良と呼ばれていた生徒たちにとって、かけがいのない益をもたらす存在となりました。
まさに一人の教師が歌った歌が、この生徒であった太田俊雄氏によって歌い継がれていったのです。
もう一つ、その本の中でエミリー・ディッキンズの詩が載せられていましたが、それはこの一人の少年に対する教師の心を表現していま す。
もしわたしが一人の人の心を、傷心におちいらせないようにすることができるなら、わたしの生涯は、無駄ではないであろう。
もしも一人の人の苦悩をやわらげてあげることができるなら、あるいは、一人の人の苦痛をしずめてあげることができるなら、あるいはまた、風に拭きおとされて弱りはてている一羽の駒鳥を助けて、もとの巣の中へ、そっともどしてやることができるなら、わたしの生涯はむだではないであろう。
イエス様は、御自分の命をかけて人類にもたらされた罪からの救いの福音を全世界に伝えるという大切な任務を、素朴なわずかの漁師たちに委ねました。そのイエス様から伝えられた愛の物語の歌を、弟子たちは、世界に向けて歌い継いだのです。そして、それは幾世紀にも渡って、世界中に広まり、二千年を経た今も世界中で愛の福音は歌い継がれているのです。
太田氏が立派に柴田先生の教育を学び伝えているように、どうか、私たちもこの福音の歌を止めてしまうことなく、歌い継いでいくことができますように。