三月十九日 今すぐ愛と感謝を伝えよう! (二〇一一年三月 ひとしずく四〇四)
ニュージーランド、クライスト・チャーチ市での地震のショックも冷めやらぬうちに、東日本大震災が起き、私は人の命のはかなさと、いつ今の環境が崩れ、家族や友人たちとも会えなくなる時が来るとも限らないことを、最近つくづく感じています。そして今日は自分の今までの道のりを振り返り、私をいろいろな面で助けて下さった友人たちのことを思い出し、感謝していました。
妻が妊娠中毒症の時、私は一番忙しかった頃で、家を開けることも多くありました。この時、下の子供二人はまだオマル訓練をしていました。その子達の母親代わりになって面倒を見てくれたのがJさんでした。Jさんは、音楽が大好きな人で、子供たちに音楽を教え、読み書きを教えて、子供たちの生活面の世話と教育に全力を注いで下さいました。子供たちを通してよくJさんの面影を見ることがあります。
あの時Jさんがいなかったら、体が弱くて、よく横になっていなければならなかった妻と、彼女の世話をしなければならなかった私はどうやって切り抜けることができたかわかりません。
Nさん夫妻は、まだ小さかった私の子供たちを喜ばせるために色々なことをしてくれました。子供たちにお金の管理を教えるためにと言って、お小遣いをくれて、一緒に、どうやったら安く買い物ができるかとか、お小遣帳のつけ方を教えてくれたりしました。そして子供たちをデズニーランドに連れて行ってあげてと、お金を頂いたこともありました。私たちにはそのような余裕は到底なかったので、このNさん夫妻の助けがなかったら、子供たちにそのようなことはしてあげることはできなかったことでしょう。
私たち家族が長年いた所から引っ越さなければならなかった大きなチェンジの時、いろいろな面で大変でした。それは共に住んでいたTさんにとっても同じことでした。でも私はそんな中、せっかくのクリスマスのシーズン、少しでも何か証しになるようなことをしたいと考えていました。そしてTさんは自分の引っ越しを先延ばしにして、私たちの必要を優先して下さり、クリスマスの演技を助けてくれたり、ホームレスの人たちへのおにぎりの配給を助けてくれました。そして、私たちが引っ越しした後も片付けのためにそのホームにしばらく留まってくれました。Tさんの助けがなかったら、引越しの最中でのクリスマスの証しは、やり遂げることができませんでした。
私と妻が結婚関係で大きな試練を通過していた時、何度も話を聞いてくれたMさんのことも思い出します。Mさんがいなかったら、今私たちはどうなっていたかわかりません。
Yさんは、私が、キリストの道から離れていくように思えた時、他の誰も私に忠告しなかったようなことを、はっきりと言ってくれました。Yさんがいなかったら、私は恐らく今、全く違ったことを行っていたことでしょう。
そして、私の仕事のためにサポートしてくれた大勢の友達がいます。私の欠点に忍耐して一緒に働いてくれました。
また、話を聞いてくれ、励ましてくれ、祈ってくれた大勢の友達もいます。そして、どんな時にも私を支え、励ましてくれ、苦楽を共にしてきた私の家族がいます。
一人一人がしてくれたことはとても記しきれないほどです。彼らから私は神の愛を感じます。私はこれらの人たちの愛によって生かされてきたのです。どの友人一人欠けても、私の人生は困難で味気ないものになっていたことを思うと、改めて一人一人の存在の大切さを思って心から感謝しています。
もしかしたらこれらの友人や家族ともある日、突然、会えなくなる時が訪れるかも知れません。実際すでにこの世を去った友人もいます。そう思うと、ひと時でも無駄にせず、愛や感謝をできるだけ多くの人にしっかり伝えたいと思うのです。
今、日本ばかりでなく世界中から被災者の方々への憐みや同情や愛が届けられています。それはとても素晴らしいことだと思います。しかし、もしかしたら自分のそばでも、何かに傷つき、死ぬほどに寂しく辛い思いをしている人がいるかも知れません。被災者の方々を今こうして親身になって思いやると同時に、自分の周りにいる人たちにも愛と思いやり、そして感謝の気持ちを持てたらもっと素晴らしいと思います。さあ、自分の身近にいる人たちに、今すぐ、愛や感謝の思いを伝えようではありませんか。明日ではもう遅すぎるかも知れないのですから。
友はいずれの時にも愛する、兄弟は悩みの時のために生れる。(箴言十七章十七節)
主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである」(第一ヨハネ三章十六節)