希望の道への備えの祈り 

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2023年3月14日

「ひとしずく」ーーひと昔編

自分の築き上げてきたものが、一瞬の内に消え去り、自分の愛する者たちの命が突然取り去られる…。 そのショックはどんなに大きいことでしょう?生きる力を失ってしまう人も多いかもしれません。
阪神大震災での救援活動を思い出します。私たちはテントを張って食事を配給していました。私たちは宣教団体として行っていたので、被災者の方々には私たちがクリスチャンであることはわかっていたのだと思いますが、そこに駆けつけてくれたNさんが、見るからに牧師に見えたのでしょう。ある年配の方はNさんに「自分は首を吊って死ぬところだった」と告白したのです。Nさんは彼を慰め、励ましていました。
また私が一緒に救援活動をしていたある人は、その被災で家族と友人を失った人でした。心の整理ができないので、ただ救援活動に忙しくしていたかったようです。
夜に、その人に聖書の言葉を分け合いました。その人は食い入るように聖書の言葉に耳を傾けていました。そして、神様は良い理由があって、それが起るのを許されたという神様の言葉を信じたいと言いました。そうでなければ、あまりにも将来に対する希望がなさすぎると・・・。
彼らのように、今回の被災者の方々もそれぞれに深い悲しみと絶望の中にいるのでしょう。
彼らに何かしてあげたいと思っても、今、自分たちにできるのは、節電することくらいなのか・・・とつらい気持ちです。県庁に、救援物資のことについて問い合わせてみると、まだ民間人の救援物資の受け入れ窓口は設けておらず、義援金なら日赤で受け付けているということでした。被災地に行って、何かをしたいという気持ちがあせりますが、ガソリンも手に入れるのが難しく、あちこちで道路が通行止めになっている中で、今これらの人たちのために私たちができる最善のことは、彼らのために必死の祈りを捧げることなのでしょう。
 
「祈りは道を備える」ということを信じていますが、私たちは被災者の方々のために心をこめて祈ることによって、彼らの傷ついた心を慰め、希望を与えることができるのです。そして彼らが主を見出す道へと導くことも。
 
(祈り)イエス様あなたは、全てを失って悲しんでいる人の心をよくご存知です。あなたはそうした極限の状況に立たされた人の心を省みることができるように、自ら何も持たない人となりました。家族からも離れ、あなたは孤独な道を歩まれました。それはあなたが、そうした痛みを通過している人たちの思いを感じ取ることができるようにです。
彼らの心の奥深くの悲しみと絶望感を、いやし慰めることができるのはあなたの愛以外にありません。どうか、今彼らと接する様々な救援活動を行っている人々を塗油して下さい。
 そしてイエス様、御心であれば、私たちも被災地に行って、何かの面で彼らの力となりたいです。あなたが彼らに与えたいと思っておれる慰めと希望の光をいくらかでも彼らに届けることができたらと思うのです。御心であれば、それができますように。
 
今はとにかく、彼らのためにひたすら祈りを捧げます。私たちのこの祈りに彼らの全てがかかっているかのように、必死に祈ることができるよう助けて下さい。 今、私たちが彼らへ送れる最高の支援とは「祈り」です。どうか、私たちが心を合わせたこの祈りが、彼らの希望の道への備えとなりますように。

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