「ひとしずく」ーーひと昔編
私の友人は地震の最中、聖書の詩篇九十一篇を唱えていたそうです。
一昨日の夜から多くの方が地震の恐怖から、眠れぬ夜を過ごされていることと思います。しかし思い出して下さい。私たちにはどんなひどい状況の中にあっても信頼できる神の力強い約束があるということを。
詩篇九十一篇には、主の保護と救出の素晴らしい約束が記されています。美しい言葉で綴られていますが、それらの約束を過去のものとしてではなく、今現在のために成就して下さるようにと、主にお願いすることができるのは素晴らしいことです。
そこには、罠、疫病、夜の恐ろしいもの、暗闇に歩き回る疫病、真昼に荒らす滅び、千人万人が傍らに倒れるような災い、悩み、まむし、へびなど、あらゆる災難が記されています。
しかし同時に、隠れ場、全能者の陰、助け出される、避けどころ、大盾、小盾、恐れることはない、災いは近づくことはない、あなたを守る、支える、助ける、答える、光栄を与える、長寿、満ちたらせる、主の救いを示す、とあります。
主は、災難に私たちが遭遇しないと約束しているのではなく、それらの中にあって、完全に守って下さるということを言っておられるのです。この聖書の御言葉は真実であることを体験によって確信したクリスチャンは多くいます。そのうちの一つを紹介します。
これは第二次世界大戦の頃のお話です。イギリス軍にウイットゼイ大佐という人がいました。彼の率いる連隊は全員が、毎日毎晩、詩篇九十一篇を朗読して神に安全を祈っていたそうです。彼の連隊は五年間激戦地で戦い続けましたが、他の連隊は全滅したり、多数の死者を出していたにも拘わらず、彼の連隊だけは一人の死者も出なかったということです。
またこれは九十一篇とは関係ありませんが、今回の災害に際して、私の体験した主の保護についての話です。
私の住む地域は一昨日、震度六弱の地震で、電気、水、ガスが止まってしまいました。しかし、私と妻と下の三人の子供たちは聖書のクラスのため他県にいました。かなりの地震の揺れを感じましたが、それでもそこは最も被害の少ない地域で、電気、水、ガス、などは問題ありませんでした。そればかりではなく、聖書のクラスに集まった兄弟姉妹と地震の被災地のニュースが報道されるたびに、一緒に心を合わせて祈り続けることが出来ました。そして主からメッ セージを聞くこともできました。その夕方、クラスが終わって帰る時、高速道路は閉鎖、下の道も超渋滞でしたが、主は、体の弱い妻、そして子供たち全員が休めるように、小さな旅館を用意して下さり、そこで一晩を明かすことができました。
そこでは、インターネットを使うことができ、またテレビのニュースを引き続き見ることができました(当時、我が家ではテレビがなかったので実況中継を見ることはできなかったでしょう)。そこの宿屋の人は私たちが立ち寄ったタイミングの良さに 「ラッキーでしたね。」と言いました 。普段だったら、予約なしでそのように突然立ち寄っての利用はできないのだそうです。しかしその宿は地震でガスが使えなくなっていたので、既に予約してくれていたお客さんにキャンセルしてくれるようにお願いして、一つの部屋は空いていたのだそうです。しかしガスがちょうど通じた時に、私たちが来たのだそうです。同じくタイミング良く泊まれた隣室に宿泊していた人は、駅前のホテルや旅館はみんないっぱいだそうだと教えてくれました。
今私たちは、家に帰る途中ですが、私たちの家のある一帯は、もう電気も水も回復したそうです。私たちが昨日、いつも通り家にいたら、 電気、水道、ガスの遮断された中で一晩を明かすことになっていたことでしょう。そしてテレビもないため、何が起ったかにも気づかず、電話もメールも通じなかったので、他の人とコミュニケーションもとることができなかったことでしょう。
主はちょうどこの地震の時、私たちがどこにいるべきか御存知で、導いて下さっていたのです。主は、まさに私たちの避け所(避難所)となって下さったのです。
今回起こった災害は本当に未だかつてないほどの、国内最大の災害と言われています。まるでこの世の終わりを思わすような被災地を見る時、その恐怖に飲み込まれそうになります。しかし、神の保護の約束の言葉は平和で安全な状況にいる時のものではありません。こんな不安で恐怖の中にある時のための約束なのです。
自分の力ではどうにもならないこのような状況にある今こそ、この神の堅固な約束にしがみついていましょう。私たちは必ず、 神の御言葉の真実を、 身をもって確信することでしょう。そして私たちの主への確信は、まだ主を知らない多くの人を救いに導く強い力になると思うのです。
被害に遭われた方々を思うととても辛いですが、私たちはこの現実にしっかり立って、神の御言葉の真実をもっともっと多くの人々に宣べ伝えなければならないと思います。 主の保護と愛とは全ての人々のためなのですから。どうか、避け所である主の御腕の中に、すべての人が導かれ、安らぎを得ることができますように。
あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災いはあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。
これは主があなたのために天使たちに命じて、あなたの歩むすべての道であなたを守らせられるからである。彼らはその手で、あなたをささえ、石に足を打ちつけることのないようにする。(詩篇九一篇十~十二節)