あなたは私に従ってきなさい
「ひとしずく」ーーひと昔編
私たちは、各自、神様から賜った自分の使命というものがあります。そしてそれを果たすために頑張っているのですが、時々ふと周りの人々を見て、この人たちはどうなのだろう?と思うことがあるのではないでしょうか。
聖書にも、これと似たようなことが書かれています。
ペテロはイエス様が十字架に架かる前に三度イエス様を否定するという裏切りをして、心を痛めていました。しかし復活されたイエス様はそんなペテロの心を知って、三度、「私を愛するか?」という質問をペテロに投げかけ、ペテロの「愛します」という答えによって、その裏切りを赦されました。そして、同時に新しい任務をペテロに授けられました。それはイエス様に従う小さな群れを世話しなさいということでした。
イエス様に、三度の裏切りを赦して頂き、新しい任務を与えられたペテロの喜びはどれほどのものだったことでしょう?今度こそ、命をかけてでもイエス様のために生きたいと決意したのではないでしょうか。
その後、イエス様はペテロがどのような死に方で神の栄光をあらわすかの預言を告げられました。そして、ペテロに「私について来なさい」と言われたのです。
しかし、ペテロは自分の使命よりも、それでは他の弟子たちはどうなのだろう?と、的外れな疑問を抱きます。そして、ペテロはヨハネを見て、イエス様に、この弟子はどうなのですか?と尋ねるのです。それに対してイエス様は、「たとい、 わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」と答えられたのです。
よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう。
これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た…ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、「主よ、この人はどうなのですか」。
イエスは彼に言われた、「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」。(ヨハネ二一章一八~二二節)
「他の人はどうであるか」、ということは、常に私たちの気になることではないでしょうか。
「あなたからの私の任務はわかりました。しかし、あの人は、どうなのですか? 私の任務は大変そうだけど、他の人はとても楽しんでいるように見えます。またこの人はどうなのですか?皆から認められているけれど、私は誰からも評価されないのですが…」等々。
しかし、私たちのそんな疑問に対してのイエス様の答えは、ペテロに言われた通りだと思います。イエス様は、ペテロに語りかけたように、私たちにも、人がどうであるかということを気にするのではなく、ただ自分の任務に集中し、それを立派に果たしなさい、と呼びかけているように思えます。
「それが、あなたには何のかかわりがあるか。あなたはわたしに従ってきなさい」 主は、そう私たちに語りかけておられるのです。
<以下は、蘇られて弟子たちに現れた時、イエス様がペテロとなさった会話です>
イエスは彼らに言われた、 「さあ、朝の食事をしなさい」。弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。
イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた。
イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である。彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。
ペテロは言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に「わたしの小羊を養いなさい」と言われた。
またもう一度彼に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を飼いなさい」。
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。
イエスは彼に言われた、 「わたしの羊を養いなさい。」(ヨハネ二一章一二~一七節)