「ニグルの木の葉」を読んで
「ひとしずく」ーーひと昔編
「パパ、この本読んでみて。きっと気に入るよ。」と言って、十六歳になる娘がトルキーン(ロード・オブ・ザ・リングの著者)の書いた「ニグルの木の葉」という本を図書館から借りてきてくれました。短いお話だったので、 私は一晩で読んでしまいました。
その娘だけではなく、その本をすでに読んでいた他の三人の子供たちも 「パパ、どうだった? 良かったでしょう?」と尋ねてきました。子供たちは皆それぞれに、その物語の深さを感じとっているようで、私がその物語を気に入るとわかっていたようでした。
私は「とても良かったよ!」と言うとみんな満足そうに微笑んでいました。
本を勧めてくれた娘が言いました。「このファンタジーはトルキーンがほぼ一日で、仕上げたものらしいよ。何か神様がトルキーンに夢で教えてくれたメッセージのようで、とても意味があるものだと思ったんだ。パパだったらそれを読んで、どんな感想を教えてくれるかなと思って…。」
なるほど、確かにこの物語は神様からの深いメッセージが込められているように感じました。
長旅に出る予定の主人公、画家のニグルは、その旅の準備もできずにいました。絵を仕上げたいと思っていても、隣人の足の不自由なパリッシュに何かとニグルは助けを求められるのでした。屋根の剥がれた瓦の修理やら、奥さんが病気の時は食材の買い出しなど・・・。それがニグルの絵の仕事を邪魔していたのです。
ニグルには描きかけの絵がいくつかありましたが、その中でも、一番苦労していたのが一枚の葉から描き始めた木の絵でした。ニグルはその絵を描くことだけに専念することにし、ある程度描けたのですが、結局完成しないまま、旅立ちの日が来てしまいました。
その後、彼は旅先で倒れ、救貧院に運ばれます。彼はそこで厳しい労働を強いられ、外出も許されず、自由を失ってしまいます。そして彼は今までの人生を振り返り反省します。特にパリッシュをもっと助けなかったことを悔いるのです。
しかし、やがて彼は、その救貧院から出され自由の身になります。そして外に出た彼は、自分がなかなか描くことの出来なかった、 絵の中の木と出会うのです。それを見たニグルは自分の描いた木に何が欠けているのか、またそれを補うにはパリッシュの助けが必要であることを悟るのでした。そしてその後、ニグルはパリッシュと一緒に住み、二人で力を合わせて、ついにニグルが一人では完成できなかった絵を完成させることができたのでした。
誰の人生にも、邪魔や障害とも思える状況や人が、自分のしようとしていることの前に立ちはだかっているように思えることがよくあるのではないでしょうか? ニグルの場合も、パリッシュはただ自分の絵の仕事の邪魔に思えました。しかしパリッシュは実はニグルにとって大作を仕上げるのになくてはならない大切な人だったのです。
同じように私たちの人生にとって鍵となるものも、これさえなければ、あるいはこの人さえいなければと思っている、障害に見えるもの(人)なのかも知れません。
その障害に見えるものを、邪険にではなく大切に思う時、そのものこそが実は自分が進み続けるための力であり、また自分自身を助けるのに欠かせないものであることに気付くのではないでしょうか?
ところで、あなたには、パリッシュのような人がいますか? 彼は、今、何をしているでしょうか?