愛?それとも富?
「ひとしずく」ーーひと昔編
あれは幻だったのかと思うことがあります・・・。
私は子供時代、父が鉱山で働いていたので、その社宅である長屋で暮らしていました。小さな玄関と二間の部屋からなる住まいが薄い壁で仕切られ、確か八世帯くらいで一棟となっていました。トイレ棟が離れにあり、お風呂は男女に分かれた共同風呂でした。台所は部屋にありましたが、水道が引かれていたわけでもなく、二棟の長屋の真ん中辺りにある、押しポンプの流しを皆で使っていました。そこに十数家族の人たちが野菜を洗いに来たり、 水を汲みに来るのです。そこにはちょっとした広さがあり、夜には仕事を終えた人たちが、色んな話をするために集まって賑やかなものでした。
冬の暖房に使う薪のことや、また水道を引く工事の話し合いも、井戸端会議ならぬポンプ端会議でなされていました。春の花見や秋の紅葉狩りの計画も、そこの長屋のみんなで話し合われたものです。
両親が出かけて遅くなった時には、当時小学生だった私は隣の人のところで夕食をさせてもらって待っていたり、誰かが高校に合格した時には、長屋中の皆が喜こんだものでした。また親方と呼ばれた人の所では、両親が仕事以外のことでも色々と相談に乗ってもらったりしていたのも覚えています。 鉱山の鉱石が採れなくなって「首切り」(解雇)が始まった時には、親方が、わたし達小さな子供達三人を抱えている父親と母親を不憫に思って、会社に何度も猶予してくれるように掛け合ってくれたという話を聞いたこともあります。そうしたおかげで父は閉山ぎりぎりまで、慣れた仕事をし続けることができました。
皆が一つの家族のように、いつも助け合い、苦楽を共にしていました。
酒乱の父のためにつらい思いもした子供時代ですが、そんな中でも、いたわり合いや助け合うことを、こうした暖かい隣近所の人たちの生き方から教えてもらっていたように思います。
昔は日本のどこにでも、このような人々の結びつきがたくさんあったのだと思いますが、あれから四十年以上が過ぎ、日本の社会は目まぐるしく変わって来ました。便利さとスピードと物質的豊かさを求め続けて発展した現代の社会では、あの長屋にいた暖かい人と人との結びつきなどは、なかなか見つけることができません。
今、あの当時を思い出してみると、私が共に暮らしていた長屋の人たちは、全く別人種だったのか、あるいは幻だったのかと思わずにはいられません。
あの長屋での暮らしは、 決して裕福でも便利でもなかったけれど、今の世の中が失ってしまった愛や暖かさが、日常にあふれていまいた。
もちろん私の家族だけでなく、それぞれの家族が色々な問題を抱えていて、愛において、完全であったわけではありませんが・・・。
古き良き時代の、日本の人情は何故、あまり見られなくなったのでしょう?
日本全体が貧しかった時代には、物の豊かさこそが幸せをもたらしてくれると思い込みやすかったのかも知れません。そしてそれを必死に求め続けた結果、気づかぬ内に自分たちが持っていた良いものを代価として、失ってしまったのでしょう。
しかし、豊かな物に囲まれた現代に生きる私たちには、何が人間にとって本当に大切なものであるのか、見ようと思えば、 見ることができるようにして頂いているように思えます。モノはモノでしかない。私達の真の必要は、モノが満たしてくれる以上のものであるということを、この過去半世紀にわたって、日本人は体験してきたのではないでしょうか。
今、私達は、愛と富とどちらを重んじた生き方をするかという選択の岐路に立っていると思います。 あなたはどちらの道を?
だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。(マタイ六章二四節)
愛を追い求めなさい。(第一コリント十四章一節前半)