特別に取っておかれる祝福
「ひとしずく」ーーひと昔編
一昨日、親しい友人からチーズを頂きました。
早速、娘が昨日、チーズケーキを作ってくれ、夕食後に食べることになりました。皆、口々に「おいしい!」「グッド!」と言いながら食べ始めたのですが、突然、娘の一人が食べるのを止めて「明日の朝、コーヒーと一緒に食べよう。そしたらもっとおいしいよ」と言いました。コーヒーを飲まない子供たちも、「そうだ、明日にとっておこう!」と言い始めました。
ちょうど安く買えたイチゴがチーズケーキをきれいに飾っています。ほんのりと甘い味のするチーズケーキです。娘の言う通り、お腹一杯になった今食べるより、明日コーヒーを飲みながら食べる方が、ケーキのおいしさが引き立つというものです。そして食べてしまいたい誘惑に駆られた私も「取っておこう」という決断をしたのでした。
このおいしいケーキを、もっとおいしく食べられる時のために取っておくというアイデアに、主もまた私たちのためによくそうしてくださっているのではないかと、ふと思いました。
主は人生の苦しい時に、主の愛がとても深く感じられるような、特別な慰めや喜びといった祝福を用意しておられるのではないでしょうか?それを何でもない時に与えてくださるのではなく、辛い試練を通過させる時のために特別に「取っておかれる」のです。
人生を振り返ってみると、誰もがそういった試練の特別な時に、特別な慰めや励ましという祝福を頂いたことがあるのではないでしょうか?
聖書に出てくるダビデもそうです。彼は、自分が忠心を果たしている主君から、命を狙われ、何度も逃げて歩かねばなければなりませんでした。そんな彼に主は、 供給を与え、友を与え、慰め励ましを与えて生きながらえさせてくれました。私はそのダビデが作った詩篇の次の箇所が大好きです。
あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。(詩篇二三篇五節)
まさに自分を殺そうとしていきり立っている敵との戦いに直面している最中にでも、主は、喜びと慰めをもたらすためにどんなことでもすることができるのです。いえ、そうした辛い時だからこそ、主は特別なことをしてくださるのです。
その詩篇の後に続く「わたしの生きている限りは、必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。」(詩篇二三篇六節)という約束が、今、試練を通過中のあなたにも豊かに注がれますように!そして主があなたのこの時のために取っておかれた特別な祝福によって、励まされ強められますように!