無知は罪なり? 

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2023年2月27日

 無知は罪なり?

「ひとしずく」ーーひと昔編

「無知は罪なり」という言葉を、最近色々な人が使うのをたて続けに聞きました。
 善かれと思ってしたことが、その無知により、大変な事態になったり、人を傷つけることに至ったという話を聞くと、知っておく必要があると思えることは幾つもあります。
 インターネットで調べたのですが「無知は罪なり」は、ソクラテスの言葉のようです。そして、その言葉の後は、次のように続きます。
 「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」
 このことを説明している人たちは大体、無知は知ろうとしないことで罪であり、知識も社会貢献につながらないものなら、空虚で、真の知識をもって社会に貢献する知識こそが英知であり、それを持つ者が英雄であるというようなことを言っているようです。
 しかし、知識や情報の氾濫する中で、どの知識を集積して、それをどんなふうに役立てるものにするかということ自体が大変なところで、どの知識に自分の思考のエネルギーを集中させるかということに知恵と判断、選択が必要となってくると思います。
「無知は罪なり」この言葉が「知識重視」社会に利用されて使われているようにも思える時があります。そして知識重視の危険性、落とし穴に警戒する必要性を感じるのです。
 「こんなことも知らないの?」「遅れて(流行に)いるね」と人に思われるのを恐れ、知識や情報を集積してしまう弱さを私たち人間は持っていると思います。情報化社会においては、情報はお金と換算されます。
「社会貢献につながる知識」と言っても、社会のためになると言われていた知識が、今までどれだけ社会の害となり、人の命や自然を損なう原因となったことでしょう?
身近なことで例をあげるなら原発です。原子力を便利なエネルギーとして使う知識を用いても、その安全性のもろさをどれだけの人が知識として持っていたでしょうか?
 それが一般常識、正当な知識だとして人々に信じ込ませる仕組みになっている社会と、そうした社会を造り上げて、それに固執しているところに過ちがあるように思えます。そして、その過ちの結果として、戦争、人災、貧富の格差などを人類は刈り取って来ているのではないでしょうか?
 ソクラテスは何を思って、無知は罪なりと言ったかわかりませんが、私は、知識もまた、それが神なしの知識であるなら罪なりと、言えるのかもしれないと思います。
 真の知識とは、神の聖霊によって教えられるものだと私は思います。そのためには、自分は一部分しか知らないという謙虚な態度で、それを求めることが大切なのではないでしょうか。
 以下は知識について、聖書からの言葉です:

 わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。曲ったものは、まっすぐにすることができない、欠けたものは数えることができない。わたしは心の中に語って言った、「わたしは、わたしより先にエルサレムを治めたすべての者にまさって、多くの知恵を得た。わたしの心は知恵と知識を多く得た」。
 わたしは心をつくして知恵を知り、また狂気と愚痴とを知ろうとしたが、これもまた風を捕えるようなものであると悟った。それは知恵が多ければ悩みが多く、知識を増す者は憂いを増すからである。(伝道者の書一章一四~一八節)
もし人が、自分は何か知っていると思うなら、その人は、知らなければならないほどの事すら、まだ知っていない。(第一コリント八章二節)
けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。(ヨハネ十六章十三節)
知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める。(第一コリント八章一節)
愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。
 わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。(第一コリント十三章八~十二節)
 (祈り)主よ、何かを知っていると思う時こそ、自分は知らなければならないことさえも知らないのだという、謙虚さを持つができますように。そしてあなたが聖霊を通して、知らせようとしている真理に対して、心を開くことができますように。自分を高ぶらせる知識の罠から救い出してください。ただ、あなたによる、愛を育む知識に対して、飢え渇きを持つことができますように。

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