愛する者のための信仰の力 

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2023年2月26日

愛する者のための信仰の力 

「ひとしずく」ーーひと昔編

私の娘の一人が、 妹や友達と新しくアパートに移ることになり、一昨日は、その契約をするために、不動産屋に娘と車で向かっていました。
二十歳を過ぎた、 元気いっぱいの彼女ですが、以前は拒食症で苦しんだ経験があります。当時の大変だった時のことを懐かしく思いながら、道中、その時のことを話 していました。

娘:「調べたら、拒食症って、皆、セラピーをしなければ助からないんだっ て」
私:「私たちは、しなかったね」
娘:「いや、パパや皆がしてくれたよ。それに、家族セラピーが一番なんだって」

私は、セラピーを した覚えはありませんが、娘と一緒に時間をたくさん過ごして、必死になって祈ったこと、またたくさんの信仰の兄弟姉妹に祈ってもらったことを 覚えています。そして 確かに、家族と家族のように気遣ってくれた人たちに囲まれて、そのたくさんの愛が、彼女にとっての最善のセラピーとなったのでしょう。

私:「どうして、あの時、死にたいって思ってたの?」
娘:「そんな惨めな気持ちで、みんなの世話になって生きていたくなかったか ら。そして治っても、もう元の自分には戻れないと思っていたから・・・死んだ方がましだと思って。希望はもう無くなってた・・・」
私:「それがどうして、生きる気持ちになったの?」
娘:「パパも、みんなも、必ず治るからって励ましてくれたのが、やっぱり希望を与えてくれたんだと思う」

 私はあの当時、必死に主の御言葉にしがみつきました。仲間の皆が、祈りで サポートしてくれ、信仰を強めてくれる預言を分け合ってくれました。主と主の御言葉の約束がなかったら、彼女を励ます力は私の内にはなかった と思います。
後に、このことについて考えていた時、この聖書の言葉を思い出しました。

主イエスを信じなさい。そうしたらあなたもあなたの家族も救われます」 (使徒十六章三一節)

慣れ親しんだ聖句 ですが、この時私は、これは霊の救いだけを言っているのではないように思いました。
自分が主を信じる ことで、自分も家族も救われる・・・。
人は、それぞれが主とのつながりの中で、救いの信仰を持つように、主はご計画されているのではないかと思います。普通はそうだと思います。しかし、人が非常に弱くなり、自分で自分 を支えられない事態にあっては、周りの人の信仰を、主は用いられる場合があるのだと思ったのです。

 人が苦しみ、生きる希望を失っている時、私たちは、この事を忘れてはいけ ないと思います。魂を悩まし、苦しめている闇の力は、私たちの内にある神の真理の光によって、打ち破ることができるのです。魂を滅ぼそうと戦う力は、 私たちの中に主が与えられた命の光にはかないません。私たちが、自らの不信によって、その主の光を枡の下に隠し覆ってしまわない限り、勝利は私たちのものであり、敵は退くのです!
この勝利の神からの約束を信じようとしない不信仰を捨てる時、即座にその 勝利は自分のものになります。なぜなら、主はすでに勝利を収めておられるからです。私たちの内におられる主は、この世の神、またどんな悪霊よりも勝る力があり、疑いは、主の御言葉に基づく確信の前に屈するのです。

(イエスは)彼らに言われた、「わたしはサタンが電 光のように天から落ちるのを見た。わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あな たがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう。」(ルカ十章十八、十九節)

なぜなら、すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。 (第一ヨハネ五章四節)

 愛する者たちの救出を願うなら、まず、私たち自身が、これらの主の力強い 約束、勝利の約束を信じることから始めなければならないと思います。救出を必要としている人がそんな戦いを通過している時、私たち自身が疑いや、不平 や絶望で満たされているなら、主は私たちの信仰を祝福して、家族を救うことができません。私たちの不信仰が主の奇跡の力を制限してしまうのです。愛する者が絶望の内に 苦しんでいる時、私たちは彼らに代わって信じ、希望を保つ必要があるのです。
主は、憐れみを持ち、偏り見られる方ではないので、信じる心をもって必死に主に願うなら、必ず助けてくださいます。この聖書の話にあるカナンの母娘のように。

さて、イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方へ行かれた。すると、 そこへ、 その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。
しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。
するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。しかし、女は近寄りイ エスを拝して 言った、「主よ、わたしをお助けください」。
イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。
すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。
そこでイエ スは答えて言 われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。(マタイ十五章二一~二八節)

イエス様は、必ず 勝利をくださる、癒してくださる、というこの母親の信仰が、娘の癒しにつながりました。この娘が自分の救出のためにどれだけ、信仰を持っていたかはわかりません。母親もきっと、自分の力でできると思えるあらゆることはし尽くしていたことでしょう。彼女は、自分にはこの娘を救う力はないと悟っていました。しかし、彼女は、イエス様なら、癒すことができる、「あなたは勝利をくださる。あなたはおできになるのだから、わたしの娘を 癒されないことはないでしょう」という思いだったことでしょう。だから彼女はイエスのもとを離れようとはしなかったのです。

 最後に、戦いが大変だった時、ある尊敬する信仰の先輩が私たちのために受け取ってくれた預言の一部を紹介したいと思います。わたしは、この約束 にしがみつきました。私たちの励ましとなったこの預言が、今、辛く激しい戦いの最中にある人にとっても、力強い励ましとなることを祈りつつ・・・。

(イエス様からの預言) 「あなたがた各自に、次のことを知っていてもらい たい。私にとって難しすぎることは何一つない。あなたを勝利に導くことのできない戦いもない。否定しようもなく、揺るがすことのできない真理であり事実が一つある。それは、私は勝利者であるということ。私は主であって、否定しようのない存在であり、私の力はあなたに与えられており、あなたを取り囲 み、あなたの中に宿ってさえいるのだ」

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