相手の世界に飛び込む 

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2023年2月19日

「ひとしずく」ーーひと昔編

先日、たまたま居間に用があって行くと、ちょうどそこで母がテレビを見て いました。NHKのコロンビア白熱教室という番組で、私も思わず見入ってしまいました。とても興味深いものでした。
 小さい時から目に障害があり、高校の時には、全盲になってしまったシー ナ・アイエンガー教授(女性)が、人の視点についての研究をしているということでした。
 彼女は、アメリカ人と日本人に、海に泳ぐ魚の絵を見せてから、少し後で、 その絵の幾つかの箇所を変えたものを見せて、違いが何かを質問します。
するとアメリカ人は、大きな魚の絵の変化に気づいた人が多かったのに対し て、日本人は、その大きな魚の周りの小さな魚や貝や海藻などの変化に気づいた人が多くいました。こうした観察に基づいて、物事を見る時、文化の 違いによって視点が異なるのだということを伝えていました。
 興味深いポイントでした。また彼女の研究結果以上に、目の見えない彼女が、人の見方や視点について研究したり論じていること自体もまた、私の興味をそそるものでした。 彼女は、自分の世界から離れて相手の世界、つまり相手の持っている価値観の世界の中に飛び込むことによって、本当の理解が得られるということを主張していたようでした。 
私たちは、なかなか自分のものの見方、考え方を捨てようとはしません。まず 自分の見方や考え方を基準にして、相手のものの考え方を評価したり判断したり、ある時は批判したりします。
 しかし、互いに自分の見方に固執するのを止めて、相手の立場となり、相手 の見方に注意を注ぐことによって、初めて相手への理解が得られるということなのでしょう。
  イエス様は、神様という立場を捨てて人間となられた方です。造った方が造られた者の立場になり、その視点を移しました。しかも、全能なる神であられるにも拘わ らず、権力を振るわず、虐待され殺される立場に身を置かれたのです。人間の視点に立たれたからこそ、人間の罪の深さ、弱さ、脆さをよく理解され、それをご自分の体で受け止められたのです。
 <「あなたがたは、なぜわたしを殺そうと思っているのか」(ヨハネ七章十九節)-イエス様は殺される人の立場になられたのです。-2022.12.>
イエス様は、死に至るまで愛と命を人々に与え通し、地上での命を人の手に よって断たれるままにされました。何と言う神様だろうと思います。
 しかし彼はその後、復活し、今は神の身元にいて、神と私たちの仲介者としていつも私たちを見守って下さっているのです。
そして主は、私たちもまた、イエス様のように生きることを願っておられるの だと思います。
愛のゆえに兄弟のために命を捨てることが聖書に記されていますが、まず自分の見方に固執することを捨てて、相手のものの見方とその世界の中に飛び込むということが、 踏むべき第一歩なのではないかと考えさせられました。

  「何事も党派心や虚栄からするのでなく、へりくだった心をもって互いに人を自分よりすぐれた者としなさい。おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。キリスト・イエスにあっていだいているのと同じ思いを、あなたがたの間でも互いに生かしなさい。キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思われず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちを とり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。それゆえ に、神は彼を 高く引き上げ、すべての名にまさる名を彼に賜った。」 (ピリピ二章九節)

  主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。(第一ヨハネ三章十六節)

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