決して忘れることはない 

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2023年2月6日

 「ひとしずく」ーーひと昔編

私の友人Nさんの誕生日を祝って、彼に感謝していた時、ある人がNさんが示してくれた親切を語ってくれました。
 Nさんは、自分が大切に育て立派に咲いた蘭の花を持ってきてくれたそうです。
そして咲き終わったら、返してほしいと話したそうです。
 一番美しく咲いている時、相手に与え、そして咲き終わったら、その世話のためにまた引き取る…その親切に打たれた人がそのことを話してくれたのです。
 私は、その時、Sさんのことを思い出しました。Sさんは、盲導犬の赤ちゃんを産む犬と、その子犬が盲導犬の訓練を受けるようになるまで世話していました。世に将来の盲導犬達を送り出していたのです。そして、Sさんは、老犬となって盲導犬の役目を終えた引退犬の世話もしていました。務めを終えた老犬たちを、もう働けなくなったからと言って捨て置くのではなく、家族の一員として暖かく介護し、安心した余生を送らせてあげるためです。
 私はこの二つの美しい話から、神様の私たちへの愛について考えました。
 神様はたくさんの愛と恵みを注いで、私たちを育て成長させてくださっています。それは、私たちがこの世にあって主の光を輝かせるためです。主が愛を注いで下さった世話と訓練が、私たちを通して外に流れ出すのです。
 神は、私たちが疲れ、老いて、今迄の役目を果たすことができなくなった時、もう必要がないからと言って、投げ捨てるということはしません。
 神様は真実な方です。人が、美しく咲いてくれていた花をいたわるよう に、また懸命に尽くしてくれた犬に優しく報いてやるように、いえ、神はそれ以上に私たちに報いて下さるのです。たとえ私たちが良い務めを果たすことができなかったり、何も役に立っていないと思っても、神様はそう見てはおられません。
私たちは神様にとって愛しい存在なのです。
 主イエスは、私たちのために命を捨てて、その愛を示してくださいまし た。人の子として地上に来られ、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、その後蘇られました。私たちは、そのような愛を頂いたのです。しかも、そればかりではなく、神様は私たちに日々、愛を注いで下さり、いつも私たちのために取りなしてくださっているのです。
以前は、色々できたけれど、今自分は年老いて、何も出来ず、神に忘れられた存在だ、と思うのなら、このことを考えてみてください。
神様は、それほどの愛を注ぎ出し、訓練し世話してきた者を、途中で捨てることなどあるだろうか?と。 そうです、神様は決して見捨てることも忘れることもありません。神はむしろ、さらに細やかで愛情深い世話をされるのです。
 
 女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないよう なことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。(イザヤ四九章一五節)

 ヤコブの家よ、イスラエルの家の残ったすべての者よ、生れ出た時か ら、わたしに負われ、胎を出た時から、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変らず、白髪となるまで、あなたがたを 持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。(イザヤ四六章三、四節)

  …希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに 賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、 不信心な者たちのために死んで下さったのである。
正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。しかし、まだ 罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。
わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによっ て救わ れるであろう。そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。(ローマ五章五~十一節)

 神は不義なかたではないから、あなたがたの働きや、あなたがたがかつて聖徒に仕え、今もなお仕えて、御名のために示し てくれた愛を、お忘れになることはない。(ヘブル六章十節)

 主は、「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」と言われた。(ヘブル十三章五節後半)

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