「はい」という信仰

j
2023年2月5日

  「ひとしずく」ーーひと昔編

自分の目には難しいように思えたり、不可能のように思えることでも、それが、主が言われたことゆえ、ただ「はい」と言って従う信仰。それは、とても大きな祝福に与らせてくれます。何よりも、主はそうした人たちを使って、主の望んでおられることをすることができるのです。
   昨日、私の友人から電話がありました。その方の小学一年生になるお孫さんが、聖書のお話が好きで、何か子供が読めるようなものがあります か?ということでした。そして、少しその女の子と電話で話すことができました。
  その子に、「イエス様を心に欲しいですか?」と尋ねると、「はい」と素直に答えてくれましたので、イエス様を心に受け入れるお祈りをしま した。
  その子の「はい」という言葉に、私は心打たれ、「だれでも、幼子のようにならなければ、神の国に入ることはできない」、と言われた主の御言葉を思いました。
  短くシンプルでありながら、とても心に触れる幼子の「はい」という言葉。主は、私たちに、この「はい」をどれほど望み、期待しておられることだろうと思いました。
  イエス様の呼びかけに、即座に「はい」と言って従うことは、時々難しいことがあります。自分の論理が邪魔したり、常識、経験、また自我、 他人への意識、恐れ、怠慢、そして不信仰。「はい」と素直に言うには、実にたくさんの障害が立ちはだかります。
  しかし、神が語られたゆえに、何の迷いもなく即座に従う者の心を、神様は軽んじられません。主の愛を一心に信じて従おうとする幼子のような心を、主は喜ばれ、それに報いられるのです。
  この幼子の「はい」から、尊いレッスンを学ばせてもらったように思います。
   主よ、どうか私たちに、この幼子のような心を与えてください。そしてあなたの言われたことを単純に信じ、行動に移す者となることができる よう助けてください。
よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。 (マルコ十章十五節)

他の投稿もチェック

被災の中の希望

被災の中の希望 昨夜、勝利に酔いしれたキリスト者の集まり(近所のクリスチャンの若者の信仰の旅の報告--あとで分け合うことができるかと思います—この集まりの間中、雷が鳴り稲妻がしょっちゅう光っていました)が終わり、解散して戸を開けると、何と道の上を泥水の激流がありました。短い距離でしたが、歩いていくには大変な流れだったので車に乗って帰ってもらいました。その後、あふれる沢の流れを堰に誘導するため、コンクリートブロックや土砂で流れた石で、道路に流れないようにしていたら、そこに息子がやってきて助けてくれました。...

主が共におられた

主が共におられた 最も尊いものが、時間をかけて暗い中で生成されるという自然の法則には、たくさん学ばせられることがあります。 ジャガイモをそろそろ掘り出すころになりましたが、何日もかけて土の中で大きくなりました。明るい陽射しにさらされていたら、青くなって食べることができなくなりますので、しっかりと土の中に埋められているように見届けておかなければなりません。ジャガイモ一つとってもそうですが、鶏の卵から出てくるヒヨコも受精した後、卵の殻の中で二十日程温められていなければなりません。...