神様が祈りに答えられないように思える時 

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2023年2月2日

 「ひとしずく」ーーひと昔編

家内が、最近また血圧が少し高くなってきたことで、「どうしていつまでも癒されないのかな…」とつぶやきました。彼女は、奇跡の証しの本を読んでいたところだったので、この疑問は、不平というよりも、真にその理由を主に尋ねたいという気持ちであったようです。その後、彼女は必死の祈りを捧げて、主から質問の答えを受け取ったようです。感謝です。
 ところで、私もそのことについて考え、祈っていました。すると、金が火の試練を通過するようなものだということを受け取りました。
 聖書に「あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ…」(第一ペテロ 1:7)とあります。ですから、神様は私たちの信仰を強くするために、試練の火をくぐらせようとされるのです。
 時には、これでもかこれでもかと何度も試練を通過させられ、いつまでこれが続くのだろうと思えるような時があります。その時、神様に、もう十分でしょう?もういいじゃないですか?ということを言える立場に私たちはいないことは確かです。主が私たちを、私たちの信仰を、どのようなものに鍛え上げたいかは、主だけがご存知です。
  見よ、わたしはあなたを練った。しかし銀のようにではなく、苦しみの炉をもってあなたを試みた。(イザヤ四八章十節)
 あなたがたは転倒して考えている。陶器師は粘土と同じものに思われるだろうか。造られた物はそれを造った者について、「彼はわたしを造らなかった」と言い、形造られた物は形造った者について、「彼は知恵がない」と言うことができようか。」(イザヤ二九章十六節)
 実際、私は妻が何度も病に臥している時、彼女がもっと祈りの人となり、また彼女に、生まれながらの人ではない、聖霊の輝きが出てくるのを見ています。
 私たちが体が元気で、あれやこれをし、特にそれが神様や他の人たちのための奉仕というのであれば、善いことではあるかもしれません。しかし、神様はそれ以上に、私たちの心に働きかけ、私たちと一つになり、また私たちに神様の性質と思いを持たせることに関心をお持ちなのかもしれません。
  ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神は、その豊かなあわれみにより、イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ、あなたがたのために天にたくわえてある、朽ちず汚れず、しぼむことのない資産を受け継ぐ者として下さったのである。
 あなたがたは、終りの時に啓示さるべき救にあずかるために、信仰により神の御力に守られているのである。
 そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう。
  あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいけないけれども、信じて、言葉につくせない、輝きにみちた喜びにあふれている。それは、信仰の結果なるたましいの救を得ているからである。(第一ペテロ一章三~九節)

 主は、私たちの信じる心を練り清め、純金のようなものにしようとして下さっているのです。試練を通して、主がそばにおられ、慰め、励まして下さる方であることをますます、霊の内に知ることができますように。

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