「ひとしずく」ーーひと昔編
このように、あなたがたは子であるのだから、神はわたしたちの心の中に、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を送って下さったのである。(ガラテヤ四章六節)
この使徒パウロの言葉に、私はいつも、いかに神が私たちを御胸に引き寄せて下さり、私たちをかわいい子供のように見ていて下さっていることかということを思って、慰められます。神は、たとえ私たちが悪い者であっても良いものを下さろうとする父の心を表して下さり、また私たちも父に信頼する幼子の心を持って近づくことができるのです。素晴らしいことだと思います。
最近、この聖句において,もう一つ気づいたことがあります。それは、私たちに下さった御子の霊とは、まず何よりも祈りの霊なのだということです。
「アバ、父よ」というのは、子供が父親に対して、「お父ちゃん」と親しみを込めて呼びかける言葉です。神は、私たちにそのような御子の霊を与えてくださったのです。
地上にいる者が天にいるお父さんに呼びかける、呼び求めるということは、つまり祈りということではないでしょうか。
私たちはイエス様を通して天の父を見ます。「わたしを見たのは父を見たのだ」とイエス様は言われました。
イエス様を通して父を見るということは、具体的にはイエス様の父との関係を通して見るということです。
イエスは彼に言われた、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」。(ヨハネ十四章六節)
イエス様が父である神に信頼して呼びかける時、愛をもって答えてくださる父の姿を私たちは見るのです。
イエスは彼らに答えて言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。子は父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができない。父のなさることであればすべて、子もそのとおりにするのである。」(ヨハネ五章十九節)
人々は石を取りのけた。すると、イエスは目を天にむけて言われた、『父よ、わたしの願いをお聞き下さったことを感謝します。」(ヨハネ十一章四一節)
イエス様がいかに天の父への祈りによって、地上での務めを成し遂げられたかがわかります。彼は絶えず、父に祈り、父に聞いていました。そして天に上られた今も、絶えず私たちのためにとりなしてくださり、父に祈っておられるのです。
だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。(ローマ八章三四節)
そこでまた、彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。(ヘブル七章二五節)
これからわかるように、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊とは、何よりも祈りの霊であると思います。神は、御子として父にお願いすることのできる大いなる特権を、私たちにも分け合って下さっているのです。祈りこそ、神と私たちをつなぐ命なのです。
わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。父が子によって栄光をお受けになるためである。(ヨハネ十四章十三節)
その日には、あなたがたがわたしに問うことは、何もないであろう。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。(ヨハネ十六章二三節)
絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。(エペソ六章十八節)