互いを燃え立たせるための隙間

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2023年1月29日

 「ひとしずく」ーーひと昔編

私は、薪ボイラーの大きな口の蓋を開けて、薪が燃えるのを眺めるのが好きです。薪ボイラーは家の外に設置されていて、簡単な屋根がかかっているだけの所にあります。雪が舞っている時は、ボイラーの中に薪をくべたり、焚き火を眺めたりしていると、頭や肩に粉雪が降りかかってきます。
 昨日もそんな中、薪が良く燃えるように、火箸であまり燃えていない薪を少し移動させたりしていました。
薪というのは、一本では燃えません。相棒となるようなもう一本の木があって初めてよく燃えるようになります。そして、それにもう一本、また一本と加えると、さらに良く燃えるのですが、それでも多ければいいというわけではなく、釜の中に隙間なく薪を入れるな ら、燃えなくなってしまいます。酸素の入る隙間がなくなってしまうからです。ですから、薪をよく燃やすには、適当な隙間をつくりながら他の薪を加えていく必要があります。
また、うちのボイラーには、燃焼室に空気を吹き入れるための空気ポンプがついていて、良く燃やすために、時々、空気ポンプを稼働させます。すると、炭火に吹き付けられた空気によって、下火になっていた 炭も赤々と燃え上がります。
この薪が良く燃えるための条件は、人間関係にも当てはめることが できるように思います。
  いくら気の合う仲間同士でも、四六時中ぴったりくっついているよりも、いくらかの間隔、また神の霊のいぶきがあって、 もっと円満に、うまくいくものです。
 お互いの間にいくらかのスペースを置くなら、つまりお互いの神様とのつながりを尊重するなら、それによって、その関係は一層スムーズになり、謙遜と愛のあふれた、団結を生み出すのではないかと思いま す。そのように、お互いに神様とつながるための時間や自由を与え合った方が、それぞれの最善が引き出される場合が多いと思います。
 良く燃えるには、薪と薪の間の空気(酸素)がどうしても必要なように、私たち、人と人との間にも、神様の入るスペースを取っておくことが大事だと思います。
 私たちは、お互いに属し、また依存し合っています。しかし、ただ気の合う仲間達が一緒に自分たちの好きなことをしていて、そこに神様が入る隙がないものは、良い実を結ぶことができないと私は思います。
 私たちは、魂の創造者であるイエス様につながっていて初めて、 実を結べますし、神様の愛の犠牲によって私たちの罪が赦され、永遠の家に招いて頂いているという事実のゆえに、不完全な相手の人をも受け入れる恵みを持つ事ができるのです。
 人と人の関係がいかにこじれていても、その間に神様に入っていただくと、その関係は奇跡的な変貌を遂げ、暖かい愛の火が灯されるようになります。
 薪と薪の間に空気を入れてやるように、お互いの中に神様の霊を招き入れましょう。そして主イエス様が相手をどう見ておら れるのか、またどう見てほしいのかを主に尋ねて、主の望まれている思いを持つことができるようにしたいものです。
 そうすれば、消えそうになった火も再び赤く燃え始めることでしょう。

 「キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つに し、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、数々の規定から 成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、十字架によっ て、二つのものを 一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。
 それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和 を宣べ伝え、また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。 というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中に あって、父のみもとに近づくことができるからである。」(エペソ 2:14-18)
「わ たしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実 を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。
わ たしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊 かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」(ヨハネ15:4,5)

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