信仰の翼

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2023年1月18日

  「ひとしずく」ーーひと昔編

先日、高速バスで東京に向かっていた時のこと。途中、バスは休憩のためサービスエリアに入りました。バスが止まると、乗客は皆、即座に席 を立って外に出て行きましたが、私はバスの窓から、ふと見た木の枝に、二羽のすずめが止まっているのに気づき、しばらくそれを眺めていました。
その日は冷たい北風が吹いていて、すずめ達は強風に揺さぶられる枝にしっかりとつかまっていました。まるで風がこの二羽のすずめを振り落とそうとでもしているかのように、枝を激しく上に下に動いています。
 しかし、その二羽のすずめは、まるでそれを楽しんでいるかのように枝の上に乗ったままです。すずめのやわらかそうな羽毛が風で波打っています。
しばらくすると、ついに一羽が地面に降りました。そのすずめはどこに行ったのか、目で追ったのですが見つからず、元の枝のほうに目をやる と、もう一羽のすずめもどこかに飛んでいなくなっていました。すると、どちらの一羽なのかわかりませんが、太い木の根元から1メートルくらいの高さの枝に 移って、止まっていました。それから間もなくすると、このすずめもどこかに飛んでいき、見えなくなりました。

 短い時間ではあったものの、私はこの小さなすずめのショーから大切な教訓を学びました。 すずめ達は、どんなに激しく風に揺さぶられても、何も恐れていないように見えました。そう考えていると、突然、ハッと気づいたのです。
「そうか!すずめには翼があるんだ!」と。
すずめは、たとえ強い風に振り落とされたとしても、飛んで、またどこかの枝に止まれば良いだけのことなのです。そんな風は、彼らにとっては何の脅威でもありません。それは、スリルであり楽しみでさえあるのかもしれません。
 
  「なるほど!これは私たちの信仰と同じようではないか!」私は思わずそう思いました。激しい風に吹きつけられるたびに、吹き飛ばされたらどうしようと、そればかり考えて心配しているなら、その激しい風がもたらすものは恐怖以外、他に何もありません。しかし、自分には翼があると知っていたらどうでしょう?もし強い風に吹き飛ばされたら、ただその翼を使って飛べば良いだけのことです。そして、また羽を休める別の枝に移れば良いのです。そう考えるのなら、自分に吹きつける強い風も、少しも恐がらないで、むしろスリルを楽しむこともできるのです。
 私たちは、見えない翼を持っているのです。 
 神様が私たちに時折り強い風を吹きつけるのは、私たちにそのことを思い出させ、その翼を使わせるためなのではないでしょうか?
 その私たちが持っている翼とは「信仰」という翼です。 
おそらく、このすずめ達に目を留めていたのは、他に誰もいなかったでしょう。このすずめたちの小さなショーは、まさしく神様が私に見せるために、特別にアレ ンジしてくださったものなのだと思いました。神様は私に大切なことを示すために、こんなに小さなすずめを使われたのです。
こんな小さな一羽のすずめさえ、守りたもう神・・・。私たちもその神に守ら れているのです。
私たちは、人生の強風に襲われる時も、何も恐れることはありません。
  「信仰の翼」を持っていることさえ、忘れないでいるのなら・・・。 
二羽のすずめは一アサリオンで売られているではない か。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。またあなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。
 それだから、恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさっ た者である。」(マタイ十章二九~三一節)
 ※アサリオンというのは、ローマ帝国の当時の貨幣通貨で、一アサリオンは今 の日本円にして数百円
 愛であられる父なる神様が、わたし達が小さなすずめのような存在であることを知っていて、激しく吹き付ける強風を許されたのであれば、その強風の試練さえも、感謝できるように、お祈りしたいです。

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