「ひとしずく」ーーひと昔編
ギリシャの失業者についてのドキュメンタリーを見ました。
もと銀行家、教師、科学者、以前忙しく仕事をしていた人たちが、職を失い、今迄の生活に大きな変化を遂げなければならないという事態に置かれて、その後何をしているか、ということを追いかけ取材したものでした。
ギリシャ第二の都市であるテサロニケ市の郊外にいる人たちをインタビューしていたのですが、とても興味深いものでした。
それらの人たちは、今、田舎に戻り、ある人は山菜を集めたり、また農場を始めたりしていました。またカタツムリの養殖を始めたり、ある人は山で摘んだベリーを物々交換するマーケットに持って行ったりしていました。驚いたことには、都会暮らしをしていたそれらの人々は、慣れない田舎暮らしではあるものの、ほとんどの人が、今までとは全く違ったストレスのない自然の暮らしに満足していたのです。
日本においても、失業は大きな問題となっています。失業した人の中には、将来に絶望して自殺を考えてしまう人も多いようですが、ギリシャのこれらの人たちを見て、全く違ったことに対応する柔軟性というものが、いかに大切であるかを学ばせてもらったように思います。
考えてみれば、人間が作った会社や組織がつぶれても、神様が破産しているわけではないのです。そして、行き場の無いように思えても、神様はその人たちのための素晴らしいご計画をお持ちで、生活していく場所も必ず用意して下さるのです。
人間の窮地は神様にとってのチャンスです。今、人間が造りあげたバベルの塔のような組織が崩れても、神様は逃れる道を用意され、私たちは思いもよらなかった素晴らしい人生へと導かれるのです。行き詰まった場所は、同時に、神様がその素晴らしいご計画を私たちに示すチャンスの場所でもあるのです。
お金は神様が造られたものではありません。そしてお金なしには生きられないこの社会も、神様が造られたものではないのです。
神様が創られたのもの、それは色々な自然の恵みを供給してくれる山や海、また多くの作物を産み出す大地です。それらを私たち人間が生きていくために備えて下さっているのです。
神様はもう一度、神様が人間に下さった恵みを見直すチャンスを、人々に与えておられるような気がします。
田舎暮らしで、新たな人生の再スタートを切った一部のギリシャの人々の生き方に、同じ状況に置かれつつある私たち日本人も、学ぶことができるのではないかと思いました。
あなたがたのあった試練で世の常でないものはない。神は真実である。神はあなたがたの耐えられないような試練にあわせられないばかりか、試練 と同時にそれに耐えられるように逃れる道も備えていて下さるのである。(第一コリント十章十三節)