「ひとしずく」--ひと昔編
主は、モーセを通してイスラエルの民に神への礼拝のための定めを示されましたが、その中に次のような部分があります。
あなたが祭壇の上にささぐべき物は次のとおりである。すなわち当歳の小羊二頭を毎日絶やすことなくささげなければならない。 その一頭の小羊は朝にこれをささげ、他の一頭の小羊は夕にこれをささげなければならない。一頭の小羊には、つぶして取った油一ヒンの四分の一をまぜた麦粉 十分の一エパを添え、また灌祭として、ぶどう酒一ヒンの四分の一を添えなければならない。他の一頭の小羊は夕にこれをささげ、朝の素祭および灌祭と同じものをこれに添えてささげ、香ばしいかおりのために主にささげる火祭としなければならない。これはあなたがたが代々会見の幕屋の入口で、主の前に絶やすことなく、ささぐべき燔祭である。わたしはその所であなたに会い、 あなたと語るであろう。(出エジプト二九章三八~四二節)
神が、律法を通して「絶やすことなく」朝に夕に人々が神に燔祭を行うことを求めておられましたが、こうした律法は、来るべきものの予告、実体の影であるとあります(コロサイ二章十七節)ので、燔祭の小羊は、来るべきあがないの供えものとなれるイエス・キリストの犠牲を示していたのです。
…ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ一章二九節)
また幕屋の中のともし火も、絶やすことのないようにと命じられました。
あなたはまたイスラエルの人々に命じて、オリブをつぶして採った純粋の油を、ともし火のために持ってこさせ、絶えずとも し火をともさなければならない。(出エジプト二七章二〇節)
また幕屋の中で、絶えずともし火がともされ、夜昼、主に仕える者たちがいたことがわかります。これらは、私たちが絶えることなく、祈りと賛美のともし火をともし続けることを示していたのでしょう。
見よ、夜、主の家に立って、主に仕えるすべてのしもべよ、主をほめよ。(詩篇一三四篇一節)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事につい て、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。(第一テサロニケ五章十六~十八節)
どうか祈りと賛美のともし火を、昼も夜も絶やすことなく燃え続け させることができますように。