クリスマスの愛のプレゼント 

j
2022年12月8日

「ひとしずく」ーーひと昔編

一昨日、とてもステキなダンスを見ました。それは、私たちをクリスマスの集いに招待して下さったKさんが披露して下さったダンスでした。何が特別だったかというと、Kさんは、この集いに東京から来てくれたミュージシャン、Tさんの「平和の使い」の歌に感動して、その歌に合わせてダンスしてくれたのです。もともとダンスをされていたKさんですから、ダンスが上手なのは当然のことかもしれませんが、それだけではなく、ただ主に対する愛や賛美が、体全体で表現されていて、踊っているKさんも、見ている私たちも、皆が、とても自由な霊で幸せな気持ちに包まれたのでした。
 Kさんは、ダンスするのを恥ずかしがっている私の娘達のために、主の霊に動かされて、身を委ねることは素晴らしいことなのだということを、わかってもらうために、死ぬつもりでダンスしたと言っておられました。この主の霊に導かれたダンスは、神様への、そして私たちにとっても素晴らしいクリスマスプレゼントとなりました。
 与えるということは、必ずしも、ただ物を与えるということではなく、神様の霊に自分を委ねて全身全霊で愛や感謝の気持ちを捧げることなのだと教えられました。
 その後、「詩篇一〇〇篇、ハレルヤ!」の賛美に合わせて、大人たちが一緒に、賛美のダンスをしました。そこに来ていた若者は、大人パワーに圧倒された、と言っていました。
 K夫妻とその息子さんは、素晴らしいごちそうを私たちのために用意して下さいました。一つ一つが心のこもったお料理でした。

こうしてイエス様の誕生を祝うクリスマスの集い、は暖かく、皆を幸せに包んでくれたのでした。

 そのクリスマスの集いが終わった後は、被災地で配るプレゼントの袋詰めをする必要がありました。そのクリスマスの集いに来ておられたOさんは、そのことを知って、彼女の子供たち5人を連れて助けに来てくれました。一番上の子が十歳で、一番下の子はまだ赤ちゃんです。このキッズ・パワーのおかげで、みるみるうちに大仕事に思えた作業も、一時間足らずで終わらせることができました。

 目の前には、千枚のとっても素敵なクリスマスバッグがあります。それにクッキーや、遠く沖縄から送ってくれたお菓子、またチョコレートなどが詰められています。そして、いろいろな品物をきれいに包装して送って下さった方もいました。そのプレゼントの中には、わざわざ夜なべをして作ってくれた湯たんぽの袋や、手作りのクッキーもあります。何と愛いっぱいのプレゼントなのでしょう。
 その上、千葉に住む若者のT君からこんな嬉しいメールが来ました。「僕もお手伝いさせてもらえますか?本当はクリスマスを家族や友人と祝えたらなと思っていました。でも東北の人達が、自分達は忘れられていると思わないように、元気になるように、僕の若さを使って下さい」と。もちろん早速、来て助けてもらうことになりました。

 「永遠の命」というメッセージを愛する人を失った人たちに伝えたいという願いから始まった、命の絵本プロジェクト。

 それぞれが違った形で、イエス様にプレゼントを捧げてくれました。神様の愛の霊のささやきに従うことによって、自分ができることをしてくれた多くの人たち。

一人の少年が、二匹の魚と五つのパンをイエス様に捧げたために、そこに集まっていた何千人もの人たちに必要な食糧が与えられたように、イエス様はこのプロジェクトのために与えてくれた一人一人のそれぞれの愛を、何百倍にも祝福して、飢え渇いた人々の心を満たしてくれるものと信じています。

 今日からいよいよ、被災者の方々にプレゼントを届けに行きます。
 どうか、永遠の命のメッセージや、皆さんからの愛がいっぱいこもったプレゼントの一つ一つが、受け取る方々の心を慰め、励ましとなるように、お祈りしていてください。そして、私たちの安全と保護、また主の導きのためにも、お祈りをよろしくお願いいたします。

 「イエスは山に登って、弟子たちと一緒にそこで座につかれた。時に、ユダヤ人の祭である過越が間近になっていた。イエスは目をあげ、大ぜいの群衆が自分の方に集まって来るのを見て、ピリポに言われた、「どこからパンを買ってきて、この人々に食べさせようか」。これはピリポをためそうとして言われたのであって、ご自分ではしようとすることを、よくご承知であった。
 すると、ピリポはイエスに答えた、「二百デナリのパンがあっても、めいめいが少しずついただくにも足りますまい」。弟子のひとり、シモン・ペテロの兄弟アンデレがイエスに言った、「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」。
 イエスは「人々をすわらせなさい」と言われた。その場所には草が多かった。
そこにすわった男の数は五千人ほどであった。
 そこで、イエスはパンを取り、感謝してから、すわっている人々に分け与え、また、さかなをも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた。」(ヨ ハネ六章三~十一節)

他の投稿もチェック

神の声か、悪魔の声か

六月七日 神の声か、悪魔の声か (二〇一四 ひとしずく一五六九)  ある友人から、何が神様からの声で、何が悪魔からの声なのか、どうやって区別がつくのか?という質問を尋ねられました。   確かに実際は、アニメなどであるように、悪魔の声は必ずしも恐ろしい地獄の響きをもって聞こえてくるというわけではありあせん。悪魔は...

「一粒の麦」としての生き方

六月六日 「一粒の麦」としての生き方 (二〇一四 ひとしずく一五六五)  たまたま、友人の誘いで出かけていった古本市で、賀川豊彦全集の内の幾冊もの本をとても安く手に入れることができました。今まで時間がなくて、なかなか読めなかったのですが、先日夜遅くまでかかりましたが、一つの小説を読み終えることができました。...

信者同士の集まり

六月五日 信者同士の集まり (二〇一四 ひとしずく一五六四)  愛と善行とを励むように互に努め、ある人たちがいつもしているように、集会をやめることはしないで互に励まし、かの日が近づいているのを見て、ますます、そうしようではないか。(ヘブル十章二四、二五節) 信仰を共にする人たちと集まり、交わりを持つことは大切です。  パウロは、善を行うにあたって、特に信仰の仲間に対してそれを行うことを励ましています。また、信仰の仲間は、それぞれがキリストの肢体の一部であるとも聖書は言っています。...