「ひとしずく」ーーひと昔編
世界的な陰謀説があります。もしかしたら、いくつかの大きな地震や津波は、何者かの企みにより、人工的に引き起こされたものだと か・・・。もしそれが本当 だとしたら、そんなことがあって良いものか!?と憤慨したくなります。私には、その陰謀説が真実であるかどうかはわかりません。しかし仮 に、それが本当の ことだとして考えてみましょう。
ある組織が日本に(また他国に)自分たちの計画に従わせ るために、そのような力を見せつけ、痛めつけ、日本の政府もそれを受け入れなければならない状態だと しましょう。彼らは世界的経済崩壊をもたらして、その後には、全てクレジット制の新しい経済体制を敷き、人間背番号制にしようとしている のです。それは聖書の黙示録で言われている「刻印」を指すものだと言う説もあります(黙示録十三章十六~十八節)。
そしてこれらの人たちは、人を家畜同然に思っていて、世界の人口操作を自分たちがしなければならないと思っています。彼らは自分たちが悪 を行っているなどとは思っておらず、ただ世界を自分達の思い通りに運営することが世界にとっても人類にとっても必要なのだと思い込んでい ることが考えられます。このような人たちは、かなり悪魔に霊感されている人たちと言えるでしょう。悪魔に霊感されていないなら、家畜のよ うに人を殺すことなど到底できないことでしょう。
このように、もし悪魔によって霊感されている組織が存在しているとするな ら、現在、悪魔はかなりのさばり、この世で幅を利かせているということが考えられます。聖書は、悪魔の存在をはっきり示しています。これは 悪魔がイエス様を誘惑している場面です。
悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう。(ルカ四章五~七節)
この聖句からわかるように、現在、悪魔はこの世の権威を持っていて自由に、好きな人にそれを与えてやることができるのだと主張しています。ところで、聖書の他の箇所には、イエス様が、世の終 わりについて預言しているところがあります。
イエスは答えて言われた、「良い種をまく者は、人の子である。畑は世界で ある。良い種と言うのは御国の子たちで、毒麦は悪い者の子たちである。それをまいた敵は悪魔である。収穫とは世の終りのことで、刈る者は 御使たちである」(マタイ十三章三七~三九節)
これは、毒麦のたとえについてイエス様が弟子に説明していた箇所です。イ エス様自身が終わりの時において悪魔による「毒麦」の悪い者の子たちの仕業というものがあることについて指摘しています。終わりの時というの は、イエス様が再臨される前の時代のこと、つまり現在を指しています。
聖書には、その時の悪魔の行動についても記されています。
さて、天では戦いが起った。ミカエルとその御使たちとが、龍と戦ったのである。龍もその使たちも応戦したが、勝てなかった。そして、もはや天には彼らのおる所がなくなった。この巨大な龍、すなわち、悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、 もろともに投げ落 された…それゆえに、天とその中に住む者たちよ、大いに喜べ。しかし、地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」。(黙示録十二章七~十二節)
悪魔は天にいる場所が無くなり、地に落とされて、自分の時が短いことを 知って、激しく怒っているのです。
このことからすると、この真実自体が、悪魔に対抗する大きな力となると思 います。
私たちは、たとえ権力を振るう暴君がいても、その暴君が、もうすぐ他の勢力によって権威の座を追われることになると分かっているなら、そ れらの権威を恐れ 続けるでしょうか?強がりを言い、脅しても、それらの暴虐を振るう者たちの終わりが迫っているのを知っているなら、恐れることはありませ ん。ちょうどトン ネルを通過している際に、とても暗くても、出口がすぐだとわかっているなら、平気であるのと同じです。
そして「お前は、もうじきにおしまいだ。それを知っているぞ!」と言われ ることこそ、悪魔が最も恐れていることだと思うのです。
先に述べたように、この陰謀説は真実なのかそうでないのかはわかりません。しかし、悪魔が霊感して手先として使っている権威があって、非 常な悪さをしているとしてもおかしくないと私は思います。しかし、そうだとしても、その首謀者である悪魔に対して「今、勝手なことをしているが、お気の毒様!お前にはもう時間がないんだ。終わりが近いのだ!」と言って打撃を与えることができるのです。
だから、次々と起こる災難やまたそれが卑劣な悪魔の陰謀によるものだとしても、心を騒がせてはなりません。それは悪魔の最後のあがきだからです。私たちは悪魔の行く末と、最後にはイエス様が勝つことを知っているのですから、勇気と平安をもって悪魔の恐れに立ち向かおうではありませんか。
そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。(ヤコブ四章七節)