神に愛されている人々

七月三十日 神に愛されている人々 (二〇一四年七月 ひとしずく一六〇五) 人を早まって裁いてはいけない どんな経路を辿って 今のその人があるのか 自分はわからないのだから その人のしたことを 悪意にとってはいけない 悪意のように見えても その人は今、何かに 捕らわれているのかもしれない その人の抱えている 悲しみがあり 苦しみがあり 痛みがあるのかもしれないのだから 相手の立場に完全に立てる人など誰もいない どんな境遇で育ち どのような試練を通過してきて どんな傷を受けているか 自分にはわからない 神は愛する者を訓練すると言う...

あなたを待っているよ

七月二九日 あなたを待っているよ (二〇一四年七月 ひとしずく一六〇四) あなたが、全くひとりになるのを待っているよ あなたが気にかける人達、世話しなければならないと思う人達や 責任を感じている仕事も…全てわきに 置いて ただ、あなたの意識の中で私だけを見つめて 私の語りかける声に耳を傾けてくれる そんな時を私は、待っていたんだよ あなたが絶えず、心を騒がせ気遣い、 重荷を感じるのは あなたの優しい心からであることを知っている しかし、ただ私に信頼して、それらを全て傍に置いて ただ、私の存在にあなたの意識と心を集中してくれないかい...

映画「ノア 約束の舟」を見て

七月二八日 映画「ノア 約束の舟」を見て (二〇一四年七月 ひとしずく一五九九)    先月から、映画「ノア 約束の舟」が全国で上映されています。「聖書の ノアの方舟の話を実写化した大作!」などと宣伝されていますが、それは、物語としても、またメッセージとしても、聖書とはかなりかけ離れたものだと思いました。 聖書で言われていたことと、この映画の違うところはいくつもありました。 まず、ノアの家族が実際は八人であるのに対し、この映画ではノアと妻と三人の息子とその息子との妻一人の計...

悪に悩まされていた義人ロト

七月二七日 悪に悩まされていた義人ロト (二〇一四年七月 ひとしずく一六一五) (創世記13章全部, 18章16節〜19章38節 参照)  神様は、その邪悪さゆえにソドムとゴモラの地を滅ぼされようとしましたが、アブラハムのとりなしのゆえにロトとその娘達は救い出されました。  低地に広がるソドムの豊かさに目を奪われ、その地に住むことを選んだロトではありましたが、その地は邪悪に満ちていました。しかし、そのことが分かっても、ロト達はそこを立ち去ろうとはしませんでした。その場所に対する執着が強かったからです。...

小さな花たち

七月二六日 小さな花たち (二〇一四年 ひとしずく一五九六) おはようございます。 家の前には小さな花壇を娘のYが作ってくれました。毎日、イラストの仕事で忙しいのですが、花壇の世話は自分の役割として責任を受け持って くれています。 家の前は、山と家に挟まれて、あまり日光を受けない為に、そこに植えられた色々な種類の花たちは大きくは成長できません。しかし、皆小さい にもかかわらず、とって美しく咲いてくれています。...

御翼の下

七月二五日 御翼の下 (二〇一四年 ひとしずく一六一三) 昨夜、久しぶりに会った信仰の仲間たちと証しを分け合い、賛美をしまし た。そこには、十年以上もレバノンで宣教していて、今日本に来ている姉妹もいました。彼女とは三十数年来のつき合いです。 彼女に興味深い話を聞きました。二〇〇六年の空爆が酷かった際、レバノンにいた多くの日本人が立ち去ったそうです。その 時、レバノンを立ち去ろうとしなかった彼女とその家族に、ある人がこう尋ねたそうです。「あなたは...

収穫

七月二四日 収穫 (二〇一四年七月 ひとしずく一五九四)...

虜(とりこ)にした者の繁栄のために祈る

七月二三日 虜(とりこ)にした者の繁栄のために祈る(エレミヤ二九 章)(二〇一四年七月 ひとしずく一五九二)  もし、自分がバビロン帝国によって征服され捕囚されていったイスラエルの民であったら、 どんな態度をとっていたことでしょう。(バビロン捕囚:新バビロニアの王ネブカドネザル二世により、ユダ王国のユダヤ人たちがバビロンを初めとしたバビロニア地方へ捕虜として連行され移住させられた事件を指す。紀元前五九七年から…。ウィキピデイアより)...

養育係り

七月二二日 養育係り (二〇一〇年 ひとしずく三八) 生ける神に、望みを置いて (第一テモテ4章10節) ザリガニが脱皮をするシーンをドキュメンタリーで見ました。脱皮をした直後は、皮も柔らかく生存するにはとてもリスクが高いのですが、しかしこの脱皮ができないと、今まで保護してくれた堅い甲殻は、かえって成長の妨げとなって、ザリガニは成長どころか死んでしまうということでした。...

低くされる時

七月二一日 低くされる時 (二〇一一年 ひとしずく六一〇)   「神は真実を見ているが、すぐには現さない」というトルストイの小話は、とても考えさせられるものだと思いました。  誠実で、善人である、ある商人が、全然、身に覚えのない罪を着せられます。殺人罪に問われます。裁判でも、彼の主張は取り上げられず、妻の皇帝 への直訴の手紙も届きません。さらに妻も彼が犯罪をしたかもしれないと疑うのです。...