執筆者 Akashi | 3月 29, 2023 | 記事
三月二九日 新しい人 (二〇一三年 ひとしずく一二二七) 誰でもイエスキリストにあるならば、その人は新しく造られたのである。古いものは過ぎ去った、見よ全てが新しくなったのである。(第二コリント五章十七節) この聖句を読んで、自分はイエス様を信じているけれども、本当に新しい人になったのだろうか?と疑問に思う人もいるかもしれません。あるいは、新しいスタートを切りたいと思っても、自分の古い癖に何度も陥ると、 その聖書の言葉は自分には当てはまらないようにさえ思えてくるかもしれません。 ...
執筆者 Akashi | 3月 28, 2023 | 記事
執筆者 Akashi | 3月 27, 2023 | 記事
三月二七日 今も生きている神、イエス・キリスト パート2 (二〇一三年 ひとしずく一二三五) ...
執筆者 Akashi | 3月 26, 2023 | 記事
三月二六日 今も生きている神、イエス・キリスト パート1 (二〇一三年 ひとしずく一二三四) 入院中の母親の心臓に問題があるということを知って、「では、祈って主に奇跡を求めよう」と弟に言ったところ、「僕は奇跡を信じないんだ」という答えが返ってきました。...
執筆者 Akashi | 3月 25, 2023 | 記事
三月二五日 神は愛である (二〇一三年 ひとしずく一二三二) 「神は愛である」(第一ヨハネ四章八節) これは聖書に書かれている言葉です。クリスチャンであるなら誰もがよく知っており、また頻繁に引用する言葉でもあります。しかし、本当にこの意味がわかるようになったのは、神が、実は、三つの人格を持っておられる方だとわかってからです。 ...
執筆者 Akashi | 3月 24, 2023 | 記事
三月二四日 天にのぼっても陰府にくだっても パート2 <二〇一三年三月 ひとしずく一一〇八 (小山晃佑著「眠れない夜」の「天にのぼっても陰府にくだっても」からの引用の続き> 天にいっても陰府に行っても神に出会うということは、よろこびと驚きのメッセージ。天に行ったら天があったというのなら何も騒ぐ必要はない。ところがこの天に行ったら天があったということがまた大切なことなのである。...
執筆者 Akashi | 3月 23, 2023 | 記事
三月二三日 イエス様が地面に何か書かれた時 (ひとしずく一一〇六) これは太田俊雄著の「矢と歌」にあるお話の一部を、短くまとめたものです。 ・・・・・・・・・・・・ 田村少年は友人にすき焼きを食べにこないかと誘われ、...
執筆者 Akashi | 3月 22, 2023 | 未分類
三月二二日 宗教、宗派を超えた愛をもって (二〇一三年三月 ひとしずく一一〇五) 何年も前のことになりますが、本田哲郎という神父が、国際宗教会議のパネリストとして、次のように語られていました。 「イエス・キリストを信じることとキリスト教を信じることは違います。イエスは名誉を求めることも、また会員の数を増やすことに心を費やすようにとも言われませんでした」 本田哲朗神父はカトリックの高い地位にいた人でしたが、当時ホームレスの人たちと共に座り込みをしたりしていました。...
執筆者 Akashi | 3月 21, 2023 | 記事
三月二一日 多くの祈りに支えられて (二〇一三年三月 ひとしずく一一〇四) 昨夜、東京に住んでいる娘に久しぶりに会いました。 食事の時、彼女は自分のバッグをごそごそとやって、「はい、これパパにプレゼント」と言って小さなものを私にくれました。はじめは何かわかりませんでしたが、よく見ると、それはネイルアートの筆で、練習用のネイルに描いたイエス様の顔の絵でした。 今、娘は、日中は英語を教え、夜はネイルアートの勉強をし始めました。...
執筆者 Akashi | 3月 20, 2023 | 記事
三月二十日 歌い継ぐ (二〇一三年三月 ひとしずく一一〇三) 太田俊雄氏著「矢と歌」という本を友人からお借りして、バイブルクラスで読ませて頂きました。太田氏は、敬和学園の創設者で、この本を通して彼がどうやって教育者への道を歩んでいったかの背景を知ることができました。 太田氏は、少年時代、自分を深く愛してくれた柴田先生という教師と出会いました。柴田先生は、この一人の少年に自分の夢を託します。課外時間を使い、自分の家に招き、頻繁な接触を通して、訓練と思いを注いだのでした。...