命のパン

九月二七日 命のパン (ひとしずく五九九)...

いつも喜んでいる者となるように

九月二六日 いつも喜んでいる者となるように (ひとしずく五九八) いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しな さい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。(第一テサロニケ五章十六~十八節)  いつも微笑んでいる人がいます。苦労や悲しみなど一度も経験もしたことがないわけでもないのに、喜びに満ち溢れ、いつも他の人のことばかり気にかけて、その笑顔が輝いているのです。そういう人に接すると、自分までもが平安で幸せな気分になります。...

愛と赦しの力

九月二五日 愛と赦しの力 (ひとしずく五九五)  あるトラクトに、淵田美津雄という方のお話が載っていました。彼は真珠湾特攻隊の指揮官だった人です。太平洋戦争が始まる前から、彼はアメリカに対する敵愾心に燃えており、敗戦後は、さらにアメリカに対する憎しみを募らせていました。...

主の愛の手

九月二四日 主の愛の手 (ひとしずく五九四)  生涯、従事してきた仕事が突然取り去られたり、あるいはその労働の実が一瞬にして害われたとしたら?また、信頼していた人に裏切られたり、生きがいになっていた愛する人を失ったとしたら?考えると、世の中は悲しみ、悔しさ、虚しさであふれています。  しかし、悲しみの効用については、多くの人たちが、その体験を通して知っています。 私は、悲しみとは、神様が、他には道がなくて与えられた、救いのための愛の手のようなものだと思います。私もいく度もの悲しみを体験し、その愛の手によって助けられてきました。...

来るべき永遠の時代のために

九月二三日 来るべき永遠の時代のために (ひとしずく 五九三)  –啓発してくれるお話です– あるお金持ちがいました。 彼は、回心して天国に行くことになりましたが、地上で貯えた金を残して行くのがどうしても惜しくて、天国の入り口で、その門番の天使に「どうか金の延べ棒のいく本かだけでも持って行かせてください」とお願いします。 天使は、あまりにも必死にお願いするので、それを天国に持って入ることを、特別許可しました。 しかし天国に足を踏み入れるや、天国の住民から、こう尋ねられたそうです。  「それは何だい?」...

備え

九月二二日 備え (ひとしずく五九二) 地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである。(黙示録十二章十二節)...

生きるのも死ぬのも主のため

九月二一日 生きるのも死ぬのも主のため (ひとしずく五八七)  主に召された子供たちの生きる目的は「生きるのも死ぬも主イエス・キリストのため」だと聖書は言っています。(ローマ十四章五、六節)。この言葉を聞くと、デービット・ リビングストーンや、ハドソン・テーラーのような、有名な宣教師達のこと、またパウロはじめ殉教した使徒たちのことを思い浮かべます。...

勝利を得る

 九月二〇日 勝利を得る (二〇一四年 ひとしずく一七〇〇)...

主への賛美

九月十九日 主への賛美 (二〇一四年 ひとしずく一六九七)  主は、私たちに、どんなに良くしてくださっているか、妻と車の中で話し合い、そして主を讃えました。  主は、私たちのために必要を供給し、事故から守り、その力を示し、最善の道に導き、主の子供である私たちの心の願いを叶えてくださいます。  そのような待遇を受けるに値しない私たちに、主は本当に良くしてくださいます。  主に従う者、主を慕う者に対して、 主がいかに憐れみ深く、また真理を明らかにしてくださることか・・・。  主の愛は、測り知れず、豊かで、永遠に続きます。ハレルヤ! ...

神は人を神の姿に造られた

九月十八日 神は人を神の姿に造られた (二〇一四年 ひとしずく一六九六)  「『神は人を神の姿に造られた』ということは、人を個性をもった存在とされたということだ」という記事を読んでいました。これは、つまり神様がそうであるように、人を、考え、感じ、選択し、決断し、行動に移し、他者との関係を持ち、また関係を築く存在とされたということです。...