イエスにつくバプテスマ

イエスにつくバプテスマ この世の喧騒のバプテスマ… 騒ぎ、慌ただしさ、世の心遣い、失敗、叫び、怒り、嫉妬、批判、非難、落胆、心配… 主を見つめ、主と共にいることによる御霊のバプテスマ… 主よ、あなたの平安、あなたの静けさ、あなたの洞察、真理、御計画、御心、愛、喜び、あなたの心からあふれるそれら光の賜物で、私の心を満たして下さい。 そしてあなたの平安の霊が、この小さな器からあふれますように。 小さな器、しかし偉大な絶えることのない命の御霊…...

みことばの水

https://ichthys.com/6A-Peripateo.htm#1._The_Water_of_the_Word (ルギンビル博士著)からの訳 みことばの水 イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生れなければ、神の国にはいることはできない。 (ヨハネ 3章5節) 文字どおりの水がなければ、肉体の生命は不可能です。 同様に、真理がなければ、霊的な命もあり得ません。そのため、上記の箇所のように、聖句はしばしば、神の言葉とその真理を、生命を与え、生命を維持する性質を持つ水にたとえています。...

神の家族に入る

神の家族に入る 以下は以前のヨハネの福音書について配信したものからの抜粋です。最後のところにつけたしをしました。 マタイの福音書の一番最後の節を見てみたいと思います。 それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、 あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。 (口語訳マタイ 28:19-20)  これを新共同訳で読みますと、...

御霊によるバプテスマ

御霊によるバプテスマ 第一ペテロ 3章18節  キリストも、あなたがたを神に近づけようとして、自らは義なるかたであるのに、不義なる人々のために、ひとたび罪のゆえに死なれた。ただし、肉においては殺されたが、霊においては生かされたのである。  19節  こうして、彼は獄に捕われている霊どものところに下って行き、宣べ伝えることをされた。  20節 ...

キリストにつくバプテスマ

キリストにつくバプテスマ キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。(ガラテヤ3章27節 新改訳Ⅳ) 「キリストにつくバプテスマを受けた」(新改訳Ⅳ)「キリストに合うバプテスマを受けた」(口語)「洗礼を受けてキリストに結ばれた」(新共同訳)…これらは、聖霊によるバプテスマのことを指していて、「バプテスマ」はギリシャ語の「バプティゾー」、「~につく/~に合う」は、「エイス(-の中に;英語ではinto)」というギリシャ語がつかわれています。...

その時

その時 この世では、抑圧され、認められず、評価してもらえない… 人のためと思って真面目に良いものを産しても、経済的にやっていけない… かえって混ぜ物して大量に送り出すならやっていける… 食料を作らないなら補助がもらえる…… 偽りメシア達、戦争、(人工操作による)飢饉、疫病… これでは、神も見切りをつけて、この世の終わりを宣言されてもおかしくはない不法のはびこる世界… 最終大物であるあの預言されていた「反(ニセ)キリスト」による物質的な見かけだけの世界の救出…しかし、人類は今だかつてなかったほどの苦難期を迎えることになる...

賞を得るために

賞を得るために 競技をするために、この世の競技においてさえ、あらゆる節制をします。霊の戦争に従事している私たちは、自分と主との関係を弱くするどんなところも、改めていく必要があります。 御言葉にそぐわないもの、世に対する愛に気づかせられたら、悔い改めて、主に近づくために、自分を引き下げるものを捨てていくことができますように。主の恵みがありますように。 神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。 (エペソ4章30節)...

人の心を探り知る方

人の心を探り知る方 主よ、どうか、今日肉のうちではなく、霊のうちを歩めますように。今日わたしの近くを通り過ぎる人がどれだけ傷つき、うちしおれた思いで歩んでいるか、主よ、あなたによらないなら、人の心は知ることも察することもできません。御霊の助けによって、気づかせてください。 …御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。...

御心を行う器となるために

御心を行う器となるために 神の御心は、失われた者に手を伸ばす。自分の命を惜しんでいると、それができない。 パウロは、「生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしのうちに生きておられる」と言いました。キリストのわざをするにあたり、まだ自分が生きていて、自分のしたいことを求めている自分がそこにいるなら、神の御心を行うことの妨げとなってしまいます。 肉はわきにどかないといけません。 みこころがなりますように、と祈りながら、肉の思いが胡坐をかいて邪魔になってはいけないのです。...

すべての道で主を認める

すべての道で主を認める 今日、遠くからやって来る兄弟姉妹がいます。 こうした土砂が家の前に積み上げられた状態で、迎えることになった聖徒たちとの交わりは、予想も期待もしていませんでしたが、神は御存知です。 私たちは、遠くまで予測がつきませんが、主は守り、災いのように見える中でも、守り、励ましを与え、御心を成し遂げて下さいます。感謝です。 もし、私たちが全てを計画するのだったら、こうしたタイミングでは、決してこのようなアレンジはしなかったと思います。しかし、神様には、良い理由があってなして下さっています。...