今も生きている

今も生きている 今朝、明け方に息子と一緒に車に乗り込み、千葉の葬儀の場所に向かっている途中です。何度も私たちの小さな村を訪れ、ボランティアをしてくれた学生たちの一人S君の葬儀に参列するためです。...

イエスの恵み

イエスの恵み 娘が採ってきて 食卓の上に並べられた食物の中に 神様の恵みを見る 神は様々なものを創られて、 人がその種を蒔いて、世話して それを味わうことができるようにされた 神様の素晴らしい御計画 良き友のうちに神の測り知れない恵みを見る そうした友と共に働く機会が与えられ、 同じ主を見つめ、同じ信仰に立ち、同じ御霊で一つとなる 地上では旅人同士の私たちが共に歩める 測り知れない恵み… しかし、この恵みに与れたのも、 信仰によるもの 神が信仰に応えて、祝福し、多くのものを与えて下さったことの一つ さらに信仰から信仰に進むために...

この岩の上に

この岩の上に そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 (マタイ16章18節)  マタイ16章18節の「この岩の上に」の「この」はギリシャ語のホウトスと言う言葉が使われており、これはヨハネ2章19節の「この」と同じ使い方をしています。つまり御自分のことを指して使われているのです。  イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。...

眠っている時にも

眠っている時にも ソロモンがよんだ都もうでの歌 主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。主が町を守られるのでなければ、守る者のさめているのはむなしい。 あなたがたが早く起き、おそく休み、辛苦のかてを食べることは、むなしいことである。主はその愛する者に、眠っている時にも、なくてならぬものを与えられるからである。 (詩篇127篇1-2節) 神は一つの方法によって語られ、また二つの方法によって語られるのだが、人はそれを悟らないのだ。 人々が熟睡するとき、または床にまどろむとき、夢あるいは夜の幻のうちで、...

神の時

神の時  イスラエルの民が、出エジプトを神の定めた時以外に企てても、うまくはいかなかったことでしょう(出エジプト14章参照)。その前も、その後も、同じことをしようにもできなかったでしょう。すべてのことには、時があり、また神が働かれる特別な時があります。  そして、その時には、人の力を超えたことが次から次へと起こります。特に再臨の時は、人手によらないことが、起こります(反キリストも再臨前に、偽のしるしをして人々を惑わすでしょうが)。(ダニエル2章45節参照)...

死ぬる日は生るる日にまさる

死ぬる日は生るる日にまさる(伝道の書7章1節) 私たちの村に何度も、ボランティアのために足を運んでくれた学生だった男の子が、癌で先日亡くなったという知らせを聞きました。息子の尊い友人でした。 良き名は良き油にまさり、死ぬる日は生るる日にまさる。 悲しみの家にはいるのは、宴会の家にはいるのにまさる。 死はすべての人の終りだからである。生きている者は、これを心にとめる。  悲しみは笑いにまさる。顔に憂いをもつことによって、心は良くなるからである。 賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある。...

寄り添う

寄り添う 東北大震災の時から、よく聞く言葉でした。被災した人と共に歩む…ための姿勢…? 何か気高い響きのする言葉ですが、本当に心から「寄り添う」というのは、簡単なことではないことは確かです。被災した人や、何か試練を抱えている人に対して、自分は高い所にいて、低くなってしまった人の所に、何とかして手を伸ばすというようなイメージが思いのどこかにあると、真の意味で寄り添うってできないのではないかと思います。...

人の計画 vs 神の御旨

人の計画 vs 神の御旨 人の心には多くの計画がある、しかしただ主の、み旨だけが堅く立つ。 (箴言19章21節) よく聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町へ行き、そこに一か年滞在し、商売をして一もうけしよう」と言う者たちよ。 あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。 むしろ、あなたがたは「主のみこころであれば、わたしは生きながらえもし、あの事この事もしよう」と言うべきである。(ヤコブ4章13-15節)...

岩の上に

岩の上に 人が試されるのは、困難によってではない。人は、名声と栄誉と富を得ている時、試される…これは、ルシファーが高められ、自分が神の立場に立てると思った時に滅亡の裁きに至った時のことを思い出させます。  人間的にいかに、良いように見えても、神を認めていないなら、試練の嵐が来た時、崩れていきます、なぜなら、それはキリストの言葉とその実行という土台の上に立てられていないからです。  試練の洪水は、必ず来ます。それは御言葉で言っていることだからです。砂地に建てる家の、洪水における結末…それはひどい、とあります。  ...

水路の確保

水路の確保 昨日、お隣さんの知り合いの水道屋さんに来てもらい、近所の人達数名と一緒に、大雨で敗れた箇所を探しに出かけました。ほとんどの水道パイプは土砂に埋もれていて、どこをパイプが通っているのか見当がつきません。それでは、どこが問題の箇所かどうやってわかるのだろうと、思っていましたが、沢づたいに上っていくと、砂地のところに窪みができていて、そこに水が溜まり、ボコボコと泡が出ていました。問題箇所を特定できました。他にももう一つ、断ち切れてしまっていた箇所を見つけ、復旧することができました。...