発見!-1

発見!-1 私の村にまだ小学校があったころ、村を囲むふるさとの山を見て、思いました。あの山の向こうには、何があるんだろう?と。小学三、四年生だったと思います。ある日、決意して山の向こう側を見ようと思ったのです。自分にとっては大きな冒険でした。その一番高い所まで上り詰めた後、その反対側の斜面に回りました。そこから見えたものは、自分が上ったのと似たような山がまた向こうにあったことでした。大した発見でもなかったのですが、少なくとも、私は、その山の向こうに何があったかわかったのです。...

主を喜ぶこと

主を喜ぶこと 私たちは、今もこれからも、自分たちの力では到底太刀打ちできない事態に直面しています。かつてなく今後もないような患難を迎えようとしています。 その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。 (マタイ24章21節) しかし、これらの預言されている患難は、私たちを驚かし、怯えさせるためのものではありません。主は言われます。...

あなたこそ

「わたしは…谷のゆり」(雅歌2章1節) 「わたしは…輝く明けの明星」(黙示録22章16節) 暗い谷だからこそ、白い百合の花が輝きを放つ 夜明け直前の深い闇にあるからこそ、輝く明けの明星が希望を与える 闇が深まる中でこそ、真の光が求められている。偽り、虚像、欺きが横行する中だからこそ、変わらない神の真理が求められる。...

祈らないことで罪を犯すことのないように:

祈らないことで罪を犯すことのないように: 私たち、クリスチャン、神の子とさらた者達は、このような破壊的な台風に曝されようとしている自国の人達のために、必死になって祈ることが必要であると思います。  イエス様は、嵐を鎮めることのできる方です。その方を自分の神として信じている私たちは、少なくとも、同朋のために、「主よ、お助け下さい。大勢の人達が破滅的な被害に遭遇しようとしています。すぐに、この嵐を鎮めて下さい」と嘆願すべきだと思います。...

御心の中に

主イエス・キリストを着なさい。肉の欲を満たすことに心を向けてはならない。(ローマ13章14節)  昨夜、息子の家に泊めてもらいましたが、疲れてシャワーをしないで横になっていました。起きた時には、自分の汗で濡れたシャツを、駐車場まで行って着替えようか、どうしようかしばらく迷っていました。駐車場まで少し離れているので、おっくだったのです。しかし、ついに着替えてきた時、やはりさっぱりしました。  その時、「新しい人を着なさい」という聖句が、もっと意味をなして理解できたように思えました。...

今も生きている

今も生きている 今朝、明け方に息子と一緒に車に乗り込み、千葉の葬儀の場所に向かっている途中です。何度も私たちの小さな村を訪れ、ボランティアをしてくれた学生たちの一人S君の葬儀に参列するためです。...

イエスの恵み

イエスの恵み 娘が採ってきて 食卓の上に並べられた食物の中に 神様の恵みを見る 神は様々なものを創られて、 人がその種を蒔いて、世話して それを味わうことができるようにされた 神様の素晴らしい御計画 良き友のうちに神の測り知れない恵みを見る そうした友と共に働く機会が与えられ、 同じ主を見つめ、同じ信仰に立ち、同じ御霊で一つとなる 地上では旅人同士の私たちが共に歩める 測り知れない恵み… しかし、この恵みに与れたのも、 信仰によるもの 神が信仰に応えて、祝福し、多くのものを与えて下さったことの一つ さらに信仰から信仰に進むために...

この岩の上に

この岩の上に そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。 (マタイ16章18節)  マタイ16章18節の「この岩の上に」の「この」はギリシャ語のホウトスと言う言葉が使われており、これはヨハネ2章19節の「この」と同じ使い方をしています。つまり御自分のことを指して使われているのです。  イエスは彼らに答えて言われた、「この神殿をこわしたら、わたしは三日のうちに、それを起すであろう」。...