Ⅱ. 神の位格:三位一体<9>
神についての研究
ロバート・D・ルギンビル博士著
3.神の御計画における三位一体の役割<続き>
c) 具体的な新約聖書から見る三位一体の役割
1) マタイ3章16-17節:
イエスはバプテスマを受けるとすぐ、水から上がられた。すると、見よ、天が開け、神の御霊がはとのように自分の上に下ってくるのを、ごらんになった。 また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。 (マタイ3章16-17節)
解説 : キリストのバプテスマは、ヨハネが行った他のどのバプテスマとも大きく異なる象徴性を持っていました。 ヨハネは通常の洗礼の意味を、目に見える悔い改めの行為と罪の洗い清めの象徴であると(正しく)理解していました。 ヨハネが罪のないメシアにバプテスマを施すのを躊躇したのは、このためです(マタイ3章14節)。しかし、キリストの場合においてはその象徴性は異なります: キリストが水の中に入るのは、私たちの罪の中にご自身の身を沈める(つまり、それらの罪のために死ぬ)意思を表し;水から上がるのは復活を表します。このことにおいて、キリストが死と復活の十字架で死に打ち勝った三位一体の役割が象徴されています。私たちを罪から救う使命を引き受けた御子が(その人間性において)生き返り、聖霊が御子を生き返らせ(第一ペテロ3章18節)、そして、御子を遣わされた御父は、御子の働きと犠牲が満足のいくものであり、効能があり、喜ばれるものであると宣言されます。
2) ヨハネ14章16節
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 (ヨハネ14章16節)
解説: この聖句は、御父が権威ある立場にあり、御子が信者のためにとりなし、聖霊が私たちを助けるために遣わされることを示しています。
3) 第一コリント12章4-6節:
霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。 務は種々あるが、主は同じである。 働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。 (第一コリント12章4-6節)
解説: ここに、私たちクリスチャンとしての働きを支える三位一体のそれぞれの役割がはっきりと示されています。 聖霊は私たちに特定の霊的賜物を与え(第一コリント12章11節参照)、特定の働きは私たちの主イエス・キリストによって割り当てられると言われ、御父はそれらの働きの実を監督し、力を与えると言われています: 神は私たちに賜物(聖霊:聖霊は私たちを力づける)、神は私たちに務めを与え(主イエス・キリスト:私たちは主の使命を分かち合う)を与え、神は私たちに実(御父:すべての影響は御父の計画の一部である)を与えます。
4) 第二コリント13章14節:
主イエス・キリストの恵みと、神の愛と、聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。 (第二コリント13章13節)
解説: 三位一体とは、救いの前、中、後という観点から見たものです: 御父の愛は、罪深い人類のために御子を死に遣わし(参照:ヨハネ3章16節)、御子の犠牲は、御父の義の条件を満たすことによって、私たちと御父とを和解させ、その結果、御子が支払ってくださったので、私たちに恵み、すなわち救いを無償で与えてくださいます。御霊は、神の愛に由来するこの恵みの申し出(キリストの死に基づく)を受け入れるすべての人を、神との交わりのうちに結びつけます 。
5) エペソ3章14-17節:
こういうわけで、わたしはひざをかがめて、 天上にあり地上にあって「父」と呼ばれているあらゆるものの源なる父に祈る。 どうか父が、その栄光の富にしたがい、御霊により、力をもってあなたがたの内なる人を強くして下さるように、 また、信仰によって、キリストがあなたがたの心のうちに住み、あなたがたが愛に根ざし愛を基として生活することにより、 (エペソ3章14-17節)
解説: パウロのこの使徒の祈りの中で、パウロが祈る対象の権威者として御父を見ることができます。パウロは私たちが聖霊によって強められるように祈っています。パウロの祈りの目的は、私たちが救い主イエス・キリストのように成長し、あらゆる面でイエス・キリストとの関係を向上させることです。
6) エペソ4章4-6節:
からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。(エペソ4章4-6節)
解釈: この「信仰の一致」(エペソ4章3節)について、パウロは私たちのクリスチャン信仰の最も重要な共通要素について私たちに思い出させています。そうするにあたり、三位一体の各位格の役割の特定の側面が強調されています: それは、私たちをキリストのからだの中に入れてくださる聖霊の役割と、それに伴うキリストにあって復活する希望、私たちの信仰の対象としての主イエス・キリストの役割と、その信仰を通して主イエス・キリストと一つになるための聖霊のバプテスマ、そして、あらゆる方法で信者の家族を一つに結び合わせてくれる愛のひとつの神としての父なる神の役割です。
7) 第一ペテロ1章1-2節:
イエス・キリストの使徒ペテロから、ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤおよびビテニヤに離散し寄留している人たち、 すなわち、イエス・キリストに従い、かつ、その血のそそぎを受けるために、父なる神の予知されたところによって選ばれ、御霊のきよめにあずかっている人たちへ。恵みと平安とが、あなたがたに豊かに加わるように。 (第一ペテロ1章1-2節)
解釈: ペテロは、私たち信者が、御父の救いの計画、私たちが信じるときに聖霊が私たちのために救いを実行してくださること、そして、私たちが信仰を置く御子の救いのわざに従って、永遠のいのちに選ばれていることを教えています。
8) 黙示録1章4-6節:
ヨハネからアジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、やがてきたるべきかたから、また、その御座の前にある七つの霊から、 また、忠実な証人、死人の中から最初に生れた者、地上の諸王の支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安とが、あなたがたにあるように。わたしたちを愛し、その血によってわたしたちを罪から解放し、 わたしたちを、その父なる神のために、御国の民とし、祭司として下さったかたに、世々限りなく栄光と権力とがあるように、アァメン。
解釈: ヨハネの三位一体からの挨拶では、御父の永遠性と悪魔の世界を間近に接収すること、御霊の悪魔の世界の監督(黙示録5章6節; イザヤ11章2節参照)、そして悪魔の世界に対する御子の勝利と征服が強調されています。
d) 三位一体の役割の説明:私たちが神と対面するとき、「私たちが知られているように、私たちも知るようになる」(第一コリント13章12節)でしょう。その時まで、三位一体の神についての私たちの理解は、聖書が人類の歴史に対する神の計画を実行する過程で三位一体をどのように明らかにしているかに本質的に依存しています。 以下では、その計画の実施のいくつかの側面において、三位一体が担うさまざまな役割について考察します:
1) 神の計画:御父の御心によって認可され(エペソ1章11節; 黙示録4章11節)、御子である御言葉によって実行され(ヘブル1章2-3節; ヨハネ1章1-3節)、御霊の知恵と力によって管理されます(イザヤ11章2節; ゼカリヤ4章6節)。
2) 世界の創造:御父によって指示され(創世記1章1節, 1章3節; 黙示録4章11節)、御子によって実行され(第一コリント8章6節; コロサイ1章16節; ヘブル1章2節)、御霊によって力を与えられました(詩篇33篇6節後半; 箴言8章27-31節)。
3) み言葉の啓示: 御父はみことばを表し(イザヤ55章11節, イザヤ40章8節, 45章23節)、キリストはみ言葉です(ヨハネ1章1-3節; ヘブル1章3節)。聖霊はみことばを啓示します(第一コリント2章10-16節)。
4) キリストの初降臨:キリストは父から遣わされ(ヘブル10章7節)、受胎され(マタイ1章20節)、導かれ(マタイ4章1節)、聖霊によって力を与えられ(ヨハネ3章34節)、私たちの救いのために自己犠牲の任務を果たします。
5) 救いの勝利(マタイ12章20節; ヨハネ16章33節; 第一コリント15章54-57節; コロサイ2章15節; 黙示録5章5節):御父は御子を使命に遣わし(ヨハネ3章16節)、御子は使命を成し遂げ(ヨハネ19章30節; ヘブル10章7節)、聖霊は使命を支えます(マタイ3章16節; ヨハネ3章34節)。
6) 信者の和解: 私たちは御父と疎遠になっていますが(エペソ4章18節; コロサイ1章21節; 第一ヨハネ1章3節と6節)、御子の十字架上の犠牲による仲介によって御父との交わりを回復され(エペソ2章12-13節; コロサイ1章22節; ヘブル2章14-15節)、御霊が私たちの新しい交わりの代理人として働かれます(第二コリント13章14節; ピリピ2章1節)。
7) 信者の再生:永遠のいのちへの鍵は御父が握っておられ(ヨハネ5章19-26節; ローマ5章10-11節)、御子は御子を信じるすべての人のために、御子の死によって永遠のいのちへのアクセスを買い取られ(使徒行伝3章15節, 20章28節; 第二ペテロ1章18節)、御霊は信者を生き返らせ、再生させます(ヨハネ3章5-8節)。
8) 信者の歩み: 御父は聖さの基準を定め(第二コリント7章1節; 第一テサロニケ4章3節; ヘブル12章14節; 第一ペテロ1章16節)、御子は模範であり(マタイ16章24節; 第一コリント11章1節; 第一テサロニケ1章6節)、御霊は神が私たちに望まれるように生きる力を与えてくださいます(ローマ8章4節; ガラテヤ5章16節)。
9) 信仰者の徳: 私たちが聖霊によって力づけられた希望をもって復活を待ち望むことができるように(ローマ15章13節)、私たちの信仰の対象である御子を遣わすことによって、御父は私たちに愛の模範を与えてくださいます(ヨハネ3章16節; 第一ヨハネ4章7-12節)。
10) 信者の霊的賜物:御霊によって与えられ、御子によって具体的な働きが割り当てられ、御父によって具体的な効果が定められています(第一コリント12章4-6節)。
11) 信者の祈り:御父にささげられ(マタイ6章6節)、御子の名によって(ヨハネ15章16節; 16章23節)、御霊の力によって成し遂げられます(エペソ6章18節)。
注意:上記の例は、聖書が明らかにする三位一体の教義を説明し、解説するのに役立つように示されていますが、これらによって示唆される「役割分担」は、すべての場合において厳密に解釈されるべきものではありません。 これらの(そして他の)三位一体の共同作用のほとんどにおいて、重複があり、聖書ではしばしばほのめかされているにすぎない責任の細分化があります。 最後の例を挙げれば、聖書における祈りはほとんど常に御父に向けられたものですが、イエスは(ヨハネ14章14節で)、私たちが主の名<イエス>によって何かを求めるなら、主はそれを行ってくださると述べています。 教会の歴史の中で、東と西に分かれた大きな論争は、「御霊が遣わされること」と、御父だけが御霊を遣わされたのか(ヨハネ14章26節)、御父と御子が御霊を遣わされたのか(ヨハネ15章26節)という問題に関係していました。 ある意味では、どちらも正しいのです(この問題は、本来の権威を持つ御父の役割と、委譲された権威を受ける御子の役割に帰結します。) ですから、三位一体を理解する際に注意すべきことは、そのような聖句が実際に教えていることを学ぶことに限定し、聖句から導き出した推論だけで決定的な教義原則を構築しないことです。 三位一体の三つの位格は、その一致と目的において紛れもなく「一つ」だからです。
<三位一体-10>に続く