神の本質<7>
神についての研究
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ロバート・D・ルギンビル博士著
4.神は主権者です(ヨブ25章2節; 詩篇93篇1-2節; イザヤ40章21-23節, 45章21-24節, 46章10b-11節, 64章8節; エレミヤ10章10節, 18章5-10節; ダニエル4章34-36節, 7章13-14節; マタイ28章18節; ローマ9章20-21節; 第一コリント15章24-28節; エペソ1章20-21節; ピリピ2章9-10節; 第一テモテ6章15節; 黙示録4章11節):
しかし主はとこしえに、み位に座し、
さばきのために、みくらを設けられました。
主は正義をもって世界をさばき、
公平をもってもろもろの民をさばかれます。(詩篇9章7-8節)
神の完全なご性格から主権が生まれます。宇宙を支配する正当な権利を持つのは神だけです。神はご自身の創造物の中で絶対的な主権者であり、それゆえにすべての栄誉を受けるべき唯一の存在です。主権は、神の道徳的権威と、神が望むように宇宙を支配する権利を意味します。道徳的な宇宙を超越するという観点から、神は、その善良さ、神聖さ、真理(被造物から独立した固有の性質)によって主権者なのです。道徳的な宇宙における至高の立場から、神は、その愛、義、命(善良さ、神聖さ、真理に対応する被造物に適用される性質)によって主権者なのです。神のみが、神が創造された道徳的に責任を負うべき被造物の究極の裁き主となり、彼らの行動に責任を負わせる資格があります。[1] 事実上の宇宙の支配者(神の完全なご性質を通して)および法的な宇宙の支配者(神の完全なご性格を通して)として、神は至高の権威を持っています。
- 神の善性から、罪深い被造物に対して愛を示されること、すなわち、罪を無視するのではなく、罪の代償として御子イエス・キリストを十字架上で死なせることで、自ら罪を償われ(贖罪)ました。私たちは、神の主権によるこの行為の結果を恵み(ヘブル語 chen חן; ギリシャ語 charis: χάρις)と呼びます。
- 神の聖性から、罪深い被造物に正義を執行すること。すなわち、彼らを罪に委ねるのではなく、彼らの代わりに御子イエス・キリストが十字架上で死なれたことを根拠に、神御自身が彼らを赦されます(義認)。私たちは、神の主権によるこの行為の結果を慈悲と呼びます(ヘブライ語chesed:חסד;ギリシャ語eleos:ἔλεος)。
- 神の真実と誠実さから、罪深い被造物に命を与えること。すなわち、人々が罪のまま死ぬことを許さず、代わりに御子イエス・キリストの十字架上の死によって、人々と神との間に和解をもたらすことです(和解)。私たちは、神の主権によるこの行為の結果を平和と呼びます(ヘブライ語シャローム:שלום、ギリシャ語エレーネ:εἰρήνη)。
[1] もちろん、人類の歴史が始まって以来、神は無法状態が人類を根絶やしにしないように、この世において、この権威の一部を人間の機関に委任してきました(創世記3章16節後半; 詩篇82篇6-7節; ヨハネ10章34節-; ローマ13章1-7節; 第一ペテロ2章13節-)。
<8>に続く